それが今の実力。
自分も、
北京オリンピックの
星野ジャパンにはがっかりを
通り越して、
悲しみを覚えた日本人の一人であるが、
ここはもう、
有無(うむ)をいわせず、
日本の野球は負けたんだ、
韓国よりも、
キューバよりも、
アマチュアや大学生が出場していて
三流の選手ばかりの
アメリカよりも、
弱かったんだという
事実を認めるべきだ。
そこには、
日本の経済力など
日本人の総合的な力も
入ってくるが、
これが今の日本の
野球の実力なんだ。
戦前より、
歴史を培ってきた日本の野球の、
紛れのない
現在のありのままの姿なのだ。
そう認めるところからしか、
「始めてはいけない」
のだと思う。
先日、教育テレビで、
太平洋戦争のB 級戦犯に関する
ドキュメンタリーを
途中からみたが
ある、
戦犯者として受刑した人が、
日本人は、
自分たちが戦時下に
行ったことの事実を認めていない。
それが、戦後を
悪くしているといったことを
言っていたのが
印象的だった。
アジア、東南アジア、国内で
程度の差こそはあれ
たしかに残虐な行為をした事実を
認める、
たとえ仕組まれた罠だったとしても
だまされ、
無謀な戦争を始めた
バカさ加減を認める、
始めたけど、日本が
国全体の力を含めて
総合的に弱かったから
負けたんだという事実を認める。
戦後の日本を中枢でつくった
人々の中には、
ほんとうに裁かれるべき者が
裁かれず、
権力にこびへつらい、
反省もせずのうのうと
生き延びた者がいたという
ことが“ほんとう”のことなら
その事実をしっかりと認める。
さあ、
今の俺は・・・?
この今いる地点が、
今の俺の実力だ。
俺の現実だ。
この程度のものしか
書けないということもね。
―へなへなと倒れこむような
気持ちになる。
なさけないことに、
経済状態といい、
日々やっていることといい、
自分の“現状”を認めるには、
そうとうに勇気が必要な
状況にある。
でも、
認めたくないことを
認めなければ、
ほんとうには
前に進めない・・・
しっかりと見つめていこう、
日本の過去も、
現在の自分も。
できれば、
野球も・・・。
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