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August 25, 2008

使命を果たして死なむと思う

※「いのちのちから」更新しました。

「子供の一生を左右する!自分の興味or他からの強制?」

                                             

                                     

自分は、神からこの世でやるべき

“使命”を与えられている。

自分は、この“使命”を果たすために

生きているのだ。

そう強く念って、生きてきた。

その使命とは、

ワクワクすることであり、

人を楽しませ、喜ばせ、

自分も楽しみ、喜ぶことなのかもしれない。

逆に、

たとえ、どんな困難がともなうものであっても、

それが神からの“使命”であるならば、

しなければならない。

「命を使われる」の“使命”である。

自分の人間をかえ、

人間関係をもっとよくしなければと

思っているのも、

自分の“使命”がより明快になり、

“使命”を果たせるから、

という意味が大きいかもしれない。

「あの人は“あれ”、この人は“これ”、

自分は“○○”、・・・」の

“あれ”、“これ”、“○○”の中身こそが

その人の“使命”だから。

言い換えれば、

大気内や宇宙を舞う粒子のような

微小の一点であっても

“世界人類”、または“宇宙”の中で、

バランスを保つ存在としての役割がある。

その粒子がなければ、

世界は少なくともその粒子がない分、

変ってしまうのだ。

必要だからこの世界で、または宇宙で

小さくともポジションを得て

壮大な“つながり”の中で存在している。

その役割こそが“使命”である。

だから、もしも、

人々から孤立しなければ、

“使命”を果たせないというのならば、

甘んじてそれも受けるべきだ。

たとえ人間から孤立していたとしても

宇宙の秩序からは孤立していないはずだから。

実際に自分が“孤立”の厳しさに

堪えられるかどうかは別として。

「自分には必ず何らかの“使命”がある」

「神からの役目を果たして死にたい」

「この命を神に使われたい」

それが、過去も現在も

自分が生きていくための最大の

原動力である。

その「神から与えられた使命」とは、

なんであるか、それをより明快にしたい

というのが、

数年前より現在にいたる“最大の望み”である。

                                                                              

                                                                        

以下寺田一清著『森信三先生随聞記』より

(引用開始)

「みなそれぞれに〝天の封書〝をいただいているが、

 一生開かずに終わる人もある」

(中略)

「われわれ人間というものは、大宇宙意志によって

 この世へ生み出され派遣されたものといってよいでしょう」

ということです。

われわれ人間のこの世における第一の任務は、何ゆえ自分は、

 この地上に出現せしめられたのかを明らかにすることではないか」 

と端的に(※森信三先生が)説かれ、

しかもこの地上へ派遣せられた自らの使命感が、

死の寸前まで、深められるのが何より望ましいと、

願っておられます。

                                    

    

  (※)は私、百太郎による注。

(引用終わり)

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