“独立”するために生まれてきた?
『オーラの泉』の江原さん流にいうならば、
今生に生まれるときに自分で決めたテーマは、
“独立”のような気がしてならない。
この自分の中にある“独立”という言葉の
イメージをわかりやすくするために、
一番いいと思われる表現が
「“孤立”ではない」である。
この世界では1人1人が、それぞれ異なった
なんらかの役目(仕事)を果たせるように
なっている。
その役目を果たしながら自分の足で歩き、
侵さず侵されず、
みんなと仲良く共に生きていくのが“独立”である。
“独立”は、決して、
みんなから離れて、たった一人
自給自足していく
“孤立”ではない。
自分の場合、
社会の中で自分の役目を果たすというより、
誰かの尻にしがみついて、“侵され侵し”ながら
生きていくか、
自給自足はできなくとも、みんなから離れ、
限りなく、
社会から“孤立”しているのに近い状態に
なるか、そのどちらかになってしまいがちである。
その両極端のどちらにも傾かない、
“中庸”こそが、
ぼくの中でイメージしている
“独立”した状態である。
自分がずっと追求してきた
“世の中のため、公のため、世界のため…”
すなわち
“AのためでもBのためでもない、
AとBを包含したより高い次元を目指す“
という生き方とは、単純に
“独立”したいということだったのかもしれない。
この“独立”を阻んでいるものは何か。
それが、自分の中にある“とらわれ”であり、
“心のクセ”であろう。
その“とらわれ”や“心のクセ”を乗り越え、
“独立”したい、“自由”になりたい
というのが今のスタンスである。
そうそう、自分にとって、
“独立”とは、きっと、“自由”という
意味でもあるのだ。
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Comments
私の今生のテーマは”協調性”なのかな?
と、今これを読んで思いました。
子供の頃は外で全然しゃべれない子で
誤解を受けたり損をすることばっかりで・・。
表面的には克服したように見えてるけど
今でも人に合わせる事がどうしてもできないの。
”個性”だと無理やり思わせて
一生ぶっちぎるしかない?
Posted by: mayu | August 08, 2008 09:09 AM
mayuさん
自分にもよう、わからないんですけどね。
「オーラの泉」を見てると、
生まれてくる前に決めてるテーマというのは
前世での欠点を直すようなことが多く、
この世での課題、卒業するまで何度でも
繰り返すなんて表現をしてますよね。
自分としちゃ、欠点をなおそうたって、
何度も同じ誤りを繰り返したり、実を
結ばないので、長所を伸ばした方が
いいのではないかと思ってもいるので
すが。
自分も協調性ないっす。結局は・・・
ここでいってる“独立”に含まれます。
自分を押し殺して強調することは
できるのですが、押し殺しすぎて、
いつか爆発するときが出てしまう。
そして、そのグループや組織に
結局はいられなくなってしまう。
結局は、協調性がないということでしょうか。
でも、mayuさん、今輝いてるから
そのまんま突っ走れるところまで、
突っ走るのもいいんじゃないでしょうか。
他人事だと思っていってる部分も
ありますが・・・(笑)。
(さっき、海水浴から帰ってきて寝ぼけ
ながらやってます。
ちゃんとしたコメント(返答)になってなかったら
ごめんね!)
Posted by: モモタロウ | August 09, 2008 11:35 PM