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September 19, 2008

じぶんはじぶんのものではない

自殺をしてなくなられた方の

苦しみには、計り知れないものがあります。

他の人には、どこまでもわかならいでしょう。

それを承知でできればひかえめに

もうしたいのですが、

やはり、自殺をする人には、

そこに至る過程がどんなものであっても、

多少の傲慢さは残ると思います。

それはどうしてか…

果たして

自分のからだはじぶんのものなのでしょうか。

かってに、じぶんのからだを殺す

権利がにんげんにあるのでしょうか。

ことばをかえていえば、

じぶんのからだはじぶんなのでしょうか。

ぼくは、スピリチュアル的な見解は

知りませんが、

生まれようとして生まれたわけではない。

生まれたいと思ったって、

生まれ出る能力がそなわっていたって、

生み出すちからを人間が

牛耳っているわけではない。

ただ、どうしたら生まれるか

ということを知っているだけで、

生まれるシステムを創ったのは

人間ではない。

いいかえれば

生命を生み出す力のある生命を

まったく新しく、

ゼロから創造する力は

人間にはないわけです。

またここで、

じぶんはじぶんなのかという

問いにもどります。

じぶんの筆箱やたんす、テレビ、

家・・・などの物はじぶんの

ものだと主張しても、

大きな支障はないかもしれない。

でも、よく

「じぶんの勝手でしょう!」

ということばが使われますが、

じぶんはじぶんのものなのでしょうか。

じぶんというものは、

じぶんの持ち物では

ないのではないでしょうか。

「じぶんの勝手」で

じぶんをどうにかしていいのでしょうか。

じぶんを勝手にどうにかする力は

与えられていて、

だからといって、

じぶんの好きなように

じぶんの生命を痛みつけて

いいものでしょうか。

はたして、じぶんとはなんでしょうか。

じぶんの境界線はどこでしょうか。

じぶんには中身があるのでしょうか。

もしもじぶんというものが

なにものからあずけられた

預かりものだとしたら、

大切にしなくてはならないのは

至極あたりまえのことでしょう。

もしじぶんというものを

創ってくれたのが神様だとして、

あんまり人間が苦しんでいたら、

死んでもいいよ

といってくれそうな気もしますが、

ぼくにはわかりません。

ただ、じぶんはじぶんのもの

ではないという気がすごくして、

じぶんを含めて、

あらゆる生命を粗末にしては

ならないのではないかと、

なんとなく、しきりに思っているだけです。

(※とりとめのないお話で、

  失礼いたしました。)

                                                          

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Comments

涙が出てきました・・・。
なんだかいまだからこそ、出会えた言葉がここにあった気がしました。
ありがとうございます、モモタロウさん。

Posted by: ぢゅん | September 19, 2008 at 11:48 PM

ぢゅんさん、身に余るおことば、光栄です。
気楽に書いたものだけに、恐縮もしています。

「じぶんはじぶんのものではない」という
ことば(考え)は、18日夜、ふと浮かんだものであり、
それこそ、もとは“じぶん”の考えではなく、
どこからか、おくられてきたものなのかもしれない。
“じぶん”はそれを取り次いでいるだけです。

もちろん、ぼくだけでなく、みんな、そういう面を
もっています。それが、この記事でいう“にんげん”
なのでしょうか。ほんとうはだれもがみな、にんげんは
ただの空っぽだったりして・・・

ずっと以前にコメントを書いていただいた
「自分が健康になることは地球を健康にすること」
という考え方も、その大元となる考えは、
やはり、“どこかから”ふと送られてきたものです。
ホリスティック医学協会のイベント企画で、
自然治癒力をテーマに企画を考えなければならなくて、
飛んでもないときに、ふと
どこからか舞い降りてきたのが、
「それぞれの個人がみんな、
いま、自然治癒力を高めよう、
高めようとしてるけど、
地球の一部である人間が、自分だけ自然治癒力を
上げようとして、高まったとしてもたかが知れてる
のではないか。
地球全体の自然治癒力と呼べるものがあるなら、
それを高めなければ、
そのほんの小さなパーツにしかすぎない人間の
自然治癒力はほんとうには高まらないんじゃないの?」
という“考え”でした。
その頃、誰かがそれと同じ意見を述べていたの
をみたわけではなく、また、当時は、そういう意見を
いっている人はぼくが知る範囲ではいませんでした。

これも、たしか、とっても“気楽”な状態で、
脱力してるときに浮かんできたもの。
もしかして、ぼくたちは、身体どころか、
なにもかも“じぶんのものではない”の
かもしれませんね。あくまで、仮説ですが・・・(笑)

(※だいぶ、長くなり失礼しました。
  触発していただいたおかげで、
  コメント欄に、1つの記事を
  書けました(笑)。ありがとうございます。)

Posted by: 百太郎 | September 20, 2008 at 01:20 AM

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