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October 29, 2008

健康になるための活動は魂の成長につながる

昨日、例のメタボがらみの

40歳以上を対象とした

国による強制的健診(笑)に行かされたのだが、

血圧が

146―88と高めになっていた。

外で測ると緊張でいつも高くなりがちである。

とくに、上の146については差し引いて

みなければならない。

案の定、今朝はかったら134-90と

上についてはかなり低い値となった。

ただし、持病であるのう胞腎には、

血圧上昇は要注意。

下の数値はちょっとまずい。


以前、医師より降圧剤を処方されていたときは、

120-70代にまで下げられた。

そこまでは行かなくても、

これではいかんということで、

今朝から散歩を再開した。

どこまで、続くかはわからないが

やってみよう。


歩きながら思ったのだが、

健康を気づかって運動、食事、リラックス・・・

何かをすることは、

ダイレクトに、

心の成長につながっているということだ。


ぼくは、人生の目的は

どんな人であれ、人間的成長、

心の成長、魂の成長・・・といってもいい、

ははずせないと考えている。


だから、一時、健康を取り戻すため、

さらに、よりいっそういい状態になるために、

食事、運動、睡眠・・・

ありあらゆることをやり、

一日のかなりの時間を割いた

時期があったが、

そのさなか、

それでいいの?
という声がいつも聞こえてきていた。

「健康は二義的なことであり、

人生の目的ではない」。

だから、もっと、

心や魂―人間的成長に

ダイレクトにつながる

ことをやりたい、

こんなことに

時間をかけてはいられないと・・・。


でも、じつは、

健康を気遣って、

食事、運動、リラックス・・・

なんらかの具体的な行動を

起こすことは、

そのまま直接に、

心や魂の成長につながるんだよな。


要は、それを実際にやるときに

どう念うか。

ただ、病気を治すためだけに行っているのか、

自分が人生において一番大切だと

思っていることにつなげて、

それを行っているのか・・・。


道元が

坐禅は悟りのために行うのではなく、

坐禅している姿そのものが

仏である、悟りであるといっているのと、

どこか通じる。

無理やりにでも、それに

こじつけてみると

われわれはよりいっそう幸せになろうと

健康になるための行動をいろいろとしているのだけど、

その行動をとること自体が、

もう“幸せ”なのではないか、

こうして幸せを味わっているうちに、

人間的にも成長していく・・・


だいぶ飛躍してしまったが、

健康を得るため、保つための

行動がより価値のあることだと

思えたことは、

今日の散歩の思わぬ収穫であった。

ようするに、

健康のための運動と

心の成長、そして、この気づき―

一石で三鳥を得ることができた。

感謝である。




いのちのちから~子供を病気にしない自然育児&子育てのコツ~

更新しました。

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October 25, 2008

あやまちてはすなわちあらたむるにはばかることなかれ

                                                        

あやまちては

すなわち

あらたむるに

はばかることなかれ

                                                      

                                     

ここのところ、

気づいたことがある。

『論語』はなにゆえ

腹の底の底まで

すとんと

おちるのか・・・

                                         

                                     

過則勿憚改

                                        

                                                                             

では決してない。

                                       

                                                           

過ちては則ち

改むるに憚かること勿れ

                                       

                                        

だったのだ。

つまり訓読。

日本人は

訓読によって、

『論語』を

まったきまでに

日本語にしてしまった。

さすが

『古事記』よりも

古い、日本人が

初めて手にした書物だけある。

このことは

すべてをひらがなに

すればよくわかる。

                                       

                                      

あやまちては

すなわち

あらたむるに

はばかることなかれ

                                      

漢字と漢字のあいだを

ひらがなでつないでいるのではない。

かなのなかに、

漢字をとけこませて、

かなにしてしまったのだ。

『論語』の読み方は

中国人と日本人では

ことなるというのも、

うなづける。

それでいいのだ。

                                       

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October 24, 2008

いのちのちから

夫婦で

いのちのちから(生命力)」

を始めています。

そこには、こんな

思いがあります。 




★今、多くの人が

人間は〝いのち(生命)〝だ

ということを忘れている。 

〝いのち(生命)〝に気づいてほしい。

 ―すべてのいのち(生命)には、

  生物としてのいのち(生命)と

  目には見えない永遠のいのち(生命)が

あると考えています。


★人間も他のすべての生物も、

根本、そして原動力は

 生命力(せいめいりょく)である。

 


★いのち(生命)を害(そこな)わず、

いのち(生命)を守り、

いのち(生命)を育(はぐく)み、

いのち(生命)を生かし、

いのち(生命)を高める。




この理念を自然育児&子育ての方向から

実行しようとしているのが、

いのちのちから~子供を病気にしない自然育児&子育てのコツ~

http://blog.livedoor.jp/shou0731fuu1115/

です。


私たちは

人間は、

祖先の代から

自然=いのちに身をゆだね、

そのままに生きていれば、

ほとんど病にかかることもないし、

なったとしても、

現代人の多くがかかっているような

重い、難しい病にならずに

すんでいるはずだ

と考えています。


ただ、今、現代人は、

その、

自然=いのち(生命)から

離れすぎてしまっている。

そこで、

人間が自然を取り戻すまでに、

とりあえず、

そのギャップを埋めるもの

必要になってきます。

それは、

そのための運動であり、

生活習慣、

食品、

ときには、

健康食品、

健康器具・・・等です。


そのギャップを埋める方法を

物の面から

(自然食品、健康食品、

健康器具、環境を配慮した物・・・)

紹介するのが、

自然育児&子育てネットショップ・いのちのちから

http://inochiryoku.free.makeshop.jp/

です。

(これらを紹介しながら、

私たちの活動費、生活費の

足しにしていきます)

まずは、船井幸雄さんがすすめる

“本物商品”から始めています。




というわけで、

あらためて、

私たちの考えをまとめ、

お伝えさせていただきました。

今後ともよろしくお願いします。




※この記事については、

 いのちのちから~子供を病気にしない自然育児&子育てのコツ~

http://blog.livedoor.jp/shou0731fuu1115/

 にも貼り付けます。






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October 23, 2008

すべて世は事もなし。

春の朝


                                      

     ロバアト・ブラウニング作

     上田敏訳


                                       

時は春、

日は朝(あした)、

朝(あした)は七時、

片岡(かたおか)に露みちて、

揚雲雀(あげひばり)なのりいで、

蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、

神、そらに知ろしめす。

すべて世は事も無し。



以下、『広辞苑』より

片岡(かたおか)

 一方が切り立っている岡。

 また、孤立した岡。



以下、『言海』より

知食す(しろしめす)

 知(しろ)す、を更に敬ひていふ語。

知す(しろす)

 知る、の敬語。知(しら)す。




〔感想〕

                                    

 「すべて世は事もなし」。

 これは、禅語の「日々是好日」に通ずる

のではないでしょうか。

                                    

 「すべて世は事もなし」、

 そんな「あした(朝)」は、

どんな人の「あした(明日)」にも

かならず来ます。

                                    

ただ、「事もなし」を感ずるか感じないか

の違いだけです。

                                   

明日の朝も、

スズメのさえずりは聞こえるでしょう。

陽光がカーテンの隙間からもれるでしょう。

雨が地上の万物を潤してくれるでしょう。

                                   

                           (了)

                                       

                                      

                                       

                                          

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October 18, 2008

空の鳥を見よ~新約聖書の文語訳と口語訳、英文訳

クリスチャンではありませんが、文語と口語の違いは、聖書によく表れています。

新約聖書より、その例をご紹介します。

                                                                           

(文語訳)

空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養いたまふ。汝らは之よりも遙かに優るる者ならずや。

(口語訳)

空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

(英文訳)

Look at the birds of the air;they do not sow or reap or store away in barns,and yet your heavenly Father feeds them.Are you not much more valuable than they?

                 (以上、マタイ伝第626節より)

                                         

(文語訳)

汝らの中(うち)たれか思ひ煩ひて身の長(たけ)一尺を加へ得んや。

(口語訳)

あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

(英文訳)

Who of you by worrying can add a single hour to his life?

                                 (同27節より

                                                             

                                               

                                                

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思うようにならない

あらためて、人生をふりかえってみると

思うようにならなかったことばかり。

もっとも思うようにならなかったのは

自分である。

思うような自分に変わることが

できなかった。

でも、もしも思うようにならなかった

ことが、正しかったとしたら・・・

思っていたことが

間違っていたとしたら・・・

自分の奥の奥の奥の自分から見れば

思うようになっていたとしたら・・・

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October 15, 2008

船井幸雄さんは、世界の激変を最も総合的にとらえている

今、経済恐慌の不安が全世界をおおっています。

週明けの株価の上昇は一時的なものと

予測されます。

こうした経済面ばかりでなく、天災、

歴史観・世界観の変化などさまざまな

事象を含めた地球規模での激変について、

日本でもっとも総合的、包括的かつ

具体的に把握されている人の1人が、

船井幸雄さんではないでしょうか。

なぜならば、今の変化はただ政治・経済を見る眼ばかりでなく

別の“眼”が必要であるからです

おそらく、この変化は、金融だけにとどまらない、

よって、それぞれの個人は“家計”や“収入”ばかりでなく

生活全般について

それなりの覚悟が必要になってくるのかもしれない。

それとともに、とても大切なのは

個々人が希望の光に目を向けていかなくてはならない。

すくなくとも、私はそう思います。

そうした今必要なお話を、1011日、12日に行われた

2008年船井幸雄オープンワールドでは、船井幸雄さんを

ふくめたさまざまな専門分野の講師からお話を

伺えたのでしょう。

私は足の怪我のために参加できなくてとても残念でした。

ただ、船井さんのホームページ

を拝見すると、

1013日に「いま知らせたいこと」のコーナーの

記事に、

“「船井幸雄オープンワールド2008」の私が、

いま特に知ってほしい7項目“

がのせられている。

それが、オープンワールドに行けなかった自分の

参考にとてもなりました。

ぜひ、ご興味のある方は、たずねてみてください。

                                        

                                        

                                                     

船井幸雄さんが選んだ本物商品で時代を乗り切ろう

ネットショップ・いのちのちから

                                                       

                                                

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October 14, 2008

今、松葉杖をついています。

                                                        

10月11日土曜日、長男、百一郎(6歳―ペンネームです)の

保育園で運動会があり、親子リレーに出場しました。

そこで、父親である私は、はり切って裸足で

走ったのですが、転倒。

翌日、救急外来で診てもらったところ、

足の指の付根が骨折の一歩手前、

骨に異常があり全治2ヶ月ということで、

現在、外出時には、病院から貸与された松葉杖を

使用せねばならない状況になっています。

ほとんど、外出ぜずに大事にしておりますが・・・。

(←これは、創作ではありません)

                                                    

情けないですねえ。

もっとも、全力で走ればこけることは予想できたのですが、

そのときはそのときで、観衆から「ウケる」からいいや

と思ったのです。悲しい性(さが)です。

                                                   

案の定、たった一人裸足で登場した親父が、

全速力で突っ走り、思いっきりコケたことにより、

一部の観衆から、とても「うけた」ように

思われますが、

その被害は予想以上で、ある意味、今回の

株価暴落のような・・・、ちょっと違うか、

想像以上の“痛手”をこうむってしまったという

わけです。

                                                   

もちろん、後悔を・・・・・・・・・

・・・・・しておりません。

                                                   

そんな中で、痛みをこらえて(?・・・ちょっと大げさです)

自分としては、待望のネットショップを

オープンしました。

ネットショップ・いのちのちから

(現在、船井幸雄さんの本物研究所の商品を

中心にご紹介しております)

まだ不完全なものですが、今後、改善していく

つもりです。

ご興味のある方は、以前より運営している

自然育児&子育てのブログともども

お訪ねください。

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October 04, 2008

病の苦しみの半分は「思うようにできない」という思い

                                                                               

今朝は、かるい発作(ぜんそく)があり、

4時半に目覚め、5時に起床しました。

                                                                                  

有り難いことです。

そうでもなければ、

こんなに早く起きられない。

土曜日はとくに起きにくいはず。

感謝です。

                                                                              

病の苦しみの

半分は、

病による苦痛そのものではなく、

病によって「思うようにできない」

ことによるものではないでしょうか。

                                                                                 

「もっと寝ていたいのに、

発作が起きているので、

床で横になれない!」

たとえば、このように。

                                                                               

病そのものによる苦痛を

解消することは容易でなくても、

「思うようにできない」ことによる

苦しみをとるのは

至極(しごく)簡単です。

                                                                                    

「べつに、もう寝なくていいや!」と、

「こうしたい」、

「こうしなければ」といった

病によってできないことへの

「思い」を

断ち切ってしまえばいいのですから。

                                                                                 

ここまで書いきてふと思いました。

もしかして、病の苦しみの

“半分”ではなくて、

“大半”が

「思うようにできない」ことによる

苦しみではないかと。

今度、ご自分でも

ためしてみてくださいね。

                                                                              

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October 03, 2008

落葉       ポオル・ヹルレエヌ 上田敏訳

秋の日の

ヸオロンの

ためいきの

身にしみて

ひたぶるに

うら悲し。

                                        

鐘のおとに

胸ふたぎ

色かへて

涙ぐむ

過ぎし日の

おもひでや。

                                           

げにわれ

うらぶれて

こゝかしこ

さだめなく

とび散らふ

落葉かな。

                                                          

                                         

                                       

今、文語のリズム感にしびれ、

その美しさに参っています・・・。

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October 01, 2008

できない喜び

                                                               

気候と季節のためか

ここのところ発作気味。

すると、「できない」ことが出てくる。

                                                        

静かに感じてみると

「できない」ことは、とても有難いことだ。

こうして、感じることもアレコレできないから

できる・・・。

                                                        

「できない」ということで「迷い」も少なくなる。

昔は、職業が少なかった。

だから迷わず今ある仕事をやるしかなかった。

ところが、現在の若者は

「できる職業」がたくさんある。

だから、迷わざるを得ない。

しまいには、迷ったままで年を重ねてしまう

人もいる。

迷いが必要なときもあるが

迷わないですむならば、

迷わないにこしたことはない。

                                                        

今年亡くなられた自然農法の福岡正信さんは、

「なにもしない」という哲学を生涯追及せられた。

「なにしもしない」というのは、

自然に対して、出来うる限り人為をほどこさない

ということでもある。

人為によって、いかに自然がこの世が

おかしくなっていることか・・・

                                                         

「できない」ということは、「なにもしない」ことに

通ずる。

「できる」と人は「なにかしてしまう」からだ。

                                                             

たまには「できない」に埋没してしまうのも

いいかもしれない。

人間には“闇”も必要なのだ。

その「できない」を助けてくれるのが“病”でもある。

                                                          

「できない」にふかく感謝・・・・・

                                                             

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