健康になるための活動は魂の成長につながる
昨日、例のメタボがらみの
40歳以上を対象とした
国による強制的健診(笑)に行かされたのだが、
血圧が
146―88と高めになっていた。
外で測ると緊張でいつも高くなりがちである。
とくに、上の146については差し引いて
みなければならない。
案の定、今朝はかったら134-90と
上についてはかなり低い値となった。
ただし、持病であるのう胞腎には、
血圧上昇は要注意。
下の数値はちょっとまずい。
以前、医師より降圧剤を処方されていたときは、
120-70代にまで下げられた。
そこまでは行かなくても、
これではいかんということで、
今朝から散歩を再開した。
どこまで、続くかはわからないが
やってみよう。
歩きながら思ったのだが、
健康を気づかって運動、食事、リラックス・・・
何かをすることは、
ダイレクトに、
心の成長につながっているということだ。
ぼくは、人生の目的は
どんな人であれ、人間的成長、
心の成長、魂の成長・・・といってもいい、
ははずせないと考えている。
だから、一時、健康を取り戻すため、
さらに、よりいっそういい状態になるために、
食事、運動、睡眠・・・
ありあらゆることをやり、
一日のかなりの時間を割いた
時期があったが、
そのさなか、
それでいいの?
という声がいつも聞こえてきていた。
「健康は二義的なことであり、
人生の目的ではない」。
だから、もっと、
心や魂―人間的成長に
ダイレクトにつながる
ことをやりたい、
こんなことに
時間をかけてはいられないと・・・。
でも、じつは、
健康を気遣って、
食事、運動、リラックス・・・
なんらかの具体的な行動を
起こすことは、
そのまま直接に、
心や魂の成長につながるんだよな。
要は、それを実際にやるときに
どう念うか。
ただ、病気を治すためだけに行っているのか、
自分が人生において一番大切だと
思っていることにつなげて、
それを行っているのか・・・。
道元が
坐禅は悟りのために行うのではなく、
坐禅している姿そのものが
仏である、悟りであるといっているのと、
どこか通じる。
無理やりにでも、それに
こじつけてみると
われわれはよりいっそう幸せになろうと
健康になるための行動をいろいろとしているのだけど、
その行動をとること自体が、
もう“幸せ”なのではないか、
こうして幸せを味わっているうちに、
人間的にも成長していく・・・。
だいぶ飛躍してしまったが、
健康を得るため、保つための
行動がより価値のあることだと
思えたことは、
今日の散歩の思わぬ収穫であった。
ようするに、
健康のための運動と
心の成長、そして、この気づき―
一石で三鳥を得ることができた。
感謝である。
いのちのちから~子供を病気にしない自然育児&子育てのコツ~も
更新しました。
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