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November 28, 2008

ホームページはホームページではない?

今は、もはやホームページも

重要な表現の一形式だと思い、

HTMLに関する本を購入した。



シェークスピアの時代は、

演劇が最先端のメディアだった。

ヴィクトル・ユゴーは当時、

やはりもっとも新しいメディアであった

出版を自分の思想を

広げるツールに使った。



現代においては、

インターネットであろうということで

学ぶ手段として、

歴史からみると伝統のメディアである

“出版物”を買ったというところに

ネットを使いこなすものから見れば、

もうすでに、感覚がズレている

のかもしれない。



その本を読んで

驚いたのは、

「ホームページをホームページと呼ぶのは

素人だけ」

とあったことだ。

ようするに、わたしのような素人が

ホームページと読んでいるのものは、

正式には「Webサイト(ウェブサイト)」

と呼ぶそうだ。

そして、その中の1ページを

「Webページ」という。



それでは、「ホームページ」という言葉は、

本来、使うべきではないものかと思えば、

インターネットを起動した時に最初に

表示されるページのこと、

それが「ホームページ」なのだそうだ。

つまり、

ウインドウズのInternet Explorerを起動して

〔ツール〕メニューの

〔インターネットオプション〕を

クリックした時、

一番上に書かれている「ホームページ」、

これが正式な使い方なのだ。



なんと今まで自分は「Webサイト」という

言葉は、

「ホームページ」をかっこつけて

呼ぶ言葉だと思っていた。

それでいつもは「ホームページ」と

言って、ときおり「Webサイト」と発していた。

今更、かっこうつけてもしょうがないと

思ったためでもある。

かっこうつけるもなにも、

言葉の意味がちがうというのに・・・。



20代のころ、

ある女性ロック・シンガーの前で、

作家であるにもかかわらず、

覚醒剤や麻薬のことを

「まやく(麻薬)」「まやく(麻薬)」と連呼していて、

「“クスリ”とか“ヤク”と言え!」

と指摘されたときの

恥ずかしさを思い出してしまった。

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November 26, 2008

みなさん“有用の用”がお好き?

一見、役に立つものばかりを

ちやほやして、

ひと目見ただけでは

役に立つことがわからないものを

排除する。

それが、資本主義をかかげた

現代社会の行き着いた

先でしょう。



そのあさはかさは昔からあって、

荘子も

「人はみな有用の用を知って、

無用の用を知ることはない」

とはき捨てています。

以下は荘子の「無用の用」を表す

物語を省略して、

自己流にアレンジしたものです。





恵施という者が、

荘子のところにやってきた。



「うちには、ゴンズイという

役立たずの木がある。

見上げるばかりにデカイ木だが、

コブだらけで、枝が曲がり、

まったく役に立たない。

だから、大工は見向きもしない」



すると、荘子はこう応えた。



「ゴンズイの木が役に立たぬと言うが、

それを広い野原に植えたらどうだ。

木の下でゆっくり休んだり、

本を読んだりできるではないか。

暑い日は木陰になるし、

雨の日は雨宿りができる。

鳥たちもつどい、

動物たちも休めるだろう。

結局、世の中のことは、

無用のものが

いつかはかえって有用に

変わるのさ。

ところで、おまえ

ゴンズイがそこまで

大きくなれたわけ(理由)

がわかるか」



恵施はこたえられない、

「いや、わからん・・・」



すると荘子は



「おまえたちには

その木が

役立たずにしか

見えなかったからだよ。

だから、大工にも

切られず大きくなれたのだ。

とかく人間は

なんにでも

役に立つ、立たないを

勝手に決めつけるが、

ほんとうに、役に立つか、

立たないかなんて、

人間社会の物差しだけで

みていたのでは

決してわからんのだ」





参考文献

 諸橋轍次著『荘子物語』

 および

 『マンガ老荘の思想』



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November 24, 2008

高血圧もCO2もそれだけに注目するのはナンセンス?

ココログニュースで

「地球温暖化説に異論あり 丸山茂徳氏の主張」

を読んだ。

本屋さんでも丸山氏の本『「地球温暖化」論に騙されるな!』(講談社)

の目次だけのぞいた。



以前、アルゴアの映画『不都合な真実』を観て、

CO2だけかよ!そうじゃないだろう。

もっと地球はいろいろヤバイだろう」

と不満をもらしたが、

あちこちで、CO2、CO2、CO2、CO2、・・・

とうるさいので、洗脳されてしまって、

いつしかその問題意識から遠ざかっていた。



そこで、あらためて思い出したのだが、

CO2と騒ぎだした大元、または

今一番騒いでいるのは、

やはり欧米を中心とした先進国でしょう?

見方がじつに“西洋医学的”なんだよね。

要素還元主義といいますか、

CO2という細部しか見ないで、

全体を忘れてしまっている。



地球を1人の患者とみれば、

CO2だけなんとかすればいい状況では

ないことは明らかでしょう。

地球という重病患者の病は

CO2だけ減らせば治るのでしょうか。

そうではないはずです。



だから、CO2を減らすために

原子力発電を増やすなんていうのは、

地球全体の病を治すという視点から

みれば、ナンセンスもいいところではないでしょうか。

原子力発電から海に流される排水というのは、

かなり熱いというではありませんか。

また、廃棄物はどうなるのでしょうね。



もちろん、CO2を入口に、もっと幅広く

地球環境を考えるというならばわかるのだけれど、

今の状況は、新聞もテレビもマスコミの多くは、

とにかくCO2を減らせばいいのだ、

地球環境保護=CO2削減というような論調に

なっている。



でも、ひるがえって、

ぼくが、今、自分の“高血圧”を気にしている

のも、同じようなことなのだよな。

問題は血圧が高いことではなく、

からだの不調なのだ。

弁明をさせていただくと、

ぼく自身は、高血圧の数値だけを

気にしてのことではなく、

血圧が高くなったのと平行して、

頭痛があったり、眼が充血していたり、

手の痺れを感じたりすることがあったので、

これはまずいのではないか、

体が黄色信号を発しているととらえたのだ。

(もちろん、多発性のう胞腎には、

 なにより血圧のコントロールが大事ということも

 ありますが・・・)



そもそも、もっとも反省したのは

運動不足。だから、血圧を下げようと、

走ったりするようになり、

運動を行ういいきっかけとなった。

そうでもなければ、歩くことはしても

走ることはしなかったでしょう。

人間の身体はある程度以上、

動かさなければならない

ようにできているのに。



おかげで、頭痛もだいぶなくなり、

最近は白目が白目であることがほとんどと

なりました(笑)。



ただ、血圧の方は、とくに拡張期血圧(下)が

ここのところ、走っているわりに下がらない。



もうしばらく様子をみよう。

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November 21, 2008

みんなちがって、みんないい

『日本語であそぼ』という

子供向けの番組の最後に、

Konishiki(小錦)が歌をうたう。



正式なタイトルは知らないが、

金子みすずの詩『わたしと小鳥とすずと』に

曲をつけたもので、

繰り返される

「みんなちがって、みんないい」

というさびが印象的。



金子の詩だということは

ついさっき知った。



Konishikiってもっと歌がうまかったように

覚えているのだが、

彼の歌にはハートがあるから、

胸に響く。



保育園に行く途中、

息子と

♪みんなちがって、みんないい~♪

なんどもなんども

同じところを歌いながら歩いた。



歌詞を覚え切れなかったのだが、

金子みすずの詩だと

知っていれば、

すぐに調べられたものを・・・。



もっとも、この歌の

一番いい部分、

そこを口ずさむだけでも、

充分、しあわせな気分になれる。



子供と歌いながら、

働き盛りであるにも

かかわらず家にいて、

毎日のように保育園に送りに行く

めずらしい父親である

自分のことを

考えていた。



わたしと小鳥とすずと 
        金子みすず
    

わたしが両手をひろげても
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地べたをはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。 

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November 20, 2008

富士山は見る場所によって違う。美しい人は皆おなじ。

20081011_fuji2

今朝、ジョギングをしていて

富士山が見えた。

はるかかなたに聳え立つ

せいだろうか、いっそう神秘を

おびている。

標高が高いだけのただの山ではない、

やはり霊峰という形容が

ふさわしい。



娘の名を富士山からとってつけた。

気品があり、

かつ奥行きのある心の広い

女性になってほしい

という願いを込めた。

富士山の美しさとは何より精神美

なのだ。



孔子門下の顔淵は、

師の姿を見て、

一歩のぼればのぼるほど、

見上げれば見上げるほど、

高い

と賛嘆している。

弟子たちにとって孔子とは、

いくら登っても頂上が見えない

霊峰であったろう。



富士山は眺める角度によって

まったく違った姿を見せる。

旅先で

お世辞にも美しいとはいえない

富士があることも知った。

これは、至人(聖人といってもいい)も

同じことであろう。

欠点にとらわれていたのでは、

永遠にその美しさをつかむ

ことはできない。



娘の名に込めた願い。

それは、じつは、自らの志にも

基づいている。

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November 19, 2008

ぜんそく発作のとき、窓を開けてみよう!

以前もこのブログで書いたのですが、

自然育児&子育てのブログに、

発作時に窓を開ける効用を書きました。

(一番下に、そこへの入口をつけました)



これは子供のみならず、当然、大人の

ぜんそく患者にも有効なはずです。

発作が夜中や明け方に起こるのは、

副交感神経優位の状態であるからという

ことにはかわりませんから。

これからの時期、凍てつくような冷気が

部屋に入ってくるかもしれませんが、

それによって、傾いた自律神経のバランス

を取り戻すことが狙いです。



ただ大人の場合、子供ほど顕著に

効果が見られないかもしれません。

でも、「咳が少なくなった」とか

「発作が止まらなくとも、ほんの

ちょっとだけよくなった」とか

わずかな成果でも出たならば

とりあえずは、その方法を行えた

ことに感謝しましょう。



なぜならば、自然療法、民間療法

といわれるものは、それがどんなものでも、

現代医学の薬や手術と違って、

すぐに症状が消えてなくなるなどということは

めったにないからです。

ときには、あるのでしょうが、

発作なら発作がすぐにピタリとやんでしまう

ことはあまりありません。

それは、反面では体のほかの部分に

負担をかけていないということでもあります。



現代医学の場合、

ぜんそくを止める、すぐに止める

ということに集中していて、

たとえば気管支拡張剤が心臓に

かなりの負担になっていることには

ほとんど注目していません。



というわけで、

完全に発作が止まってしまうということは

なくて、

少し症状が楽になる程度かもしれませんが、

それに対して、ほんのわずかな変化でも

喜びを感ずるということだけに

注意して、試してみてはいかがでしょう。



夜に窓をあける~薬を使わずに、ぜんそくを軽くする方法

http://blog.livedoor.jp/shou0731fuu1115/archives/612227.html

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November 11, 2008

血圧を下げるのは歩くのよりも走るのがいい・・・らしい。

血圧がまた高くなっていることに気づき、

多発性のう胞腎をかかえる自分としては、

ここのところ、かなりビビっている。

なぜなら、のう胞腎は治すことができない病で

ある、だから難病にも指定されているのだろうが、

予防はできる。

血圧を上げさえしなければいい。

以前、患者の会に入っていたのだが、

会報には、そう

繰り返し、書かれていたのを覚えている。

医師からも、つよく言われていた。

そして、どういう因果関係かは知らないが

のう胞腎患者は、脳動脈瘤になる可能性が高い

そうだ。

現に、同じ病を抱えていた私の母が、

脳動脈瘤になって、頭蓋骨を切開するという

大手術をおこなった。

幸いに、嗅覚が使えなくなったというだけで、

生き延びることはできたのだが、

それから20年くらいたって、

のう胞腎がだんだんと悪化して亡くなった。

64歳だった。

血圧が高いと、ただでさえ脳や心臓など血管系(循環器系)の

病にかかるリスクがググッと高くなるそうだが、

のう胞腎と脳動脈瘤には因果関係があるらしい。

となると、やはり、

血圧は下げておいた方がよさそうだ。

いや、母親のことを思い出す限り、

早急に下げたほうがよいだろう。

でも、降圧剤は使いたくない。

降圧剤は血圧は下げても、その分、

体の他の部分にかける負担が大きいからだ。

それは、降圧剤を2種類ばかり飲んでいたことが

ある私の体感である。

それで、前回、歩き始めたと書いた。

1日は、2時間半ちかくも歩いたのだが、

ほんの少し下がっているような下がっていないような

感じだったが、

ある本を拝見して、

走って(ジョギングして)みたところ、

まだ3日間走ったばかりで、

成果はそれほど大きくはないけれども、

たしかに、血圧が下がることを確かめることができた。

走るといっても、

ゆっくり走るのが血圧のためには

いいらしい。あまり脈拍数を上げて走っても

逆に効果はなくなってしまうという

実験を行ったらしい。

まだ、私も始めたばかりなのだが、

歩いたときはすくなかった手ごたえが

走ることによって大いに感じられたことは

たしか。

週に23回、1回に20分から30分くらい、

ゆっくりと走るといいそうだ。

これからも、私の体を実験台にして、

追求してみたいと思います。

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