度量が広ければ悔恨はない- 呻吟語より
世間には、一処として意に払(もと)るの事なきはなく、
一日として意に払(もと)るの事なきはなし。
惟(た)だ度量寛宏(どりょうかんこう)なれば、
受用の処あり。
彼の局量褊浅(きょくりょうへんせん)なる者は、
空しく自ら懊恨(おうこん)するのみ。
訳文
世間には、どこに行っても思い通りになるところはないし、
いつの日でも思い通りになる日はない。
ただ度量がひろびろとしていると、
何でも受け入れ楽しむことができる。
あの度量の狭く浅い連中は、いつも不平不満を
こぼしているが、それは心のもち方を変えねば
どうにもならないのであって、
空しく悩み後悔するだけのことである。
呂新吾著『呻吟語』(訳文 荒木見悟)より
年末に『呻吟語』で出会った言葉。
狭量な自分にはグサリときた。
中国の明代の哲人でさえ、
「世間には、一処として意に払るの事なきはなく、
一日として意に払るの事なきはなし」
(世間には、どこに行っても思い通りになるところはないし、
いつの日でも思い通りになる日はない)
といっているのには、ほっとする。
来年は、そういうものにとらわれない心を
少しずつつくっていきたい。
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