『レッドクリフ』を観て
本日、ジョン・ウー監督の 『レッドクリフ』を劇場で鑑賞した。 感じたこと・・・ 「う~~~」(ジョン・ウーのウーではなくて ただうなっているだけ) どこぞの邦画のように 作者をうらみたくなるほどの ひどい映画ではないが、 かといって、 ただただ感動したと手放しで ほめたくなるような映画でもない。 「三国志」への焦点の当て方が 自分の好みにあっていないということもある。 大昔のことではあるが、 戦争の映画だけに 戦いのシーンが長かったが、 それが気に食わなかったということもある。
この映画で一番よかったのは なにかとあえて聞かれれば、 音楽と答えるだろう。 鑑賞後、パンフレットを見て 知ったのだが 担当したのは、日本人である。 各シーンで流れる多くの曲が 映像によくはまっていた。 ときに映像を先導していた。 人情の機微も綿密に描かれていた。 とうぜんなのだろうが、 中国人も日本人もその点では 変わりないのだ。 在野の大学者である小室直樹氏には 日本と中国の違いに関する本が あって、そこには、日本人と 中国人では『論語』のとらえ方でさえ 違うという内容もあるそうだ。 こうした情報をネット等で 得ていたが故に、映画の中に 中国人と日本人の共通項を見つける ことは、ちょっとした快感であった。 グローバル化の波が 双方に押し寄せ、他国との違い ‐文化を洗い流してしまったのかもしれない。 そもそも近年、とくにビジネスに 携わる人間の顔を見ていると、 日本人も中国人も韓国人も 母国語を話さないかぎり、区別をつけるのは 難しい。 それだけ、顔やかもし出す雰囲気が 似てきたということでもあろう。 以前、といってもほんの二十年、三十年前 だろうが、 あの人は韓国人っぽい、 こちらの人は中国人っぽい、 すくなくとも、日本人ではなさそうだ くらいは分かった。 今では見た目だけではさっぱり分からない。 そうだ。 ここまで書いてきて気づいたのだが、 そういう意味で『レッドクリフ』には 民族の“臭み”が薄い。 その点が自分には物足りなかったの かもしれない。 「三国志」を映画で見るならば、 どうせなら漢民族の体臭がわき出てくる ような臭いものを見たかった。 ここでいう「臭い」とは「不快」という 意味ではない。 「ここは、こんなふうにするわけないだろう」 と怒りたくなるような、 日本人である自分にはどうにも理解できない 異文化間のギャップと歴史を スクリーンを通して垣間見させてくれるような ものが見たかった。 しかし、 考えてみれば ジョン・ウー監督のよく知られている作品は 『M:I-2(ミッション:インポッシブル2)』である。 ハリウッドで活躍する監督に 民族と文化の臭いが沸き立つ映画を 求める方が間違っている。 そんなもの見たくない という人がほとんどであろう。 つまり今日観た『レッドクリフ』を通して 自分の趣味を述べたまでのことである。
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