諸橋轍次と『大漢和辞典』
「表現」というもの、ぼくの場合、
台本とか企画書というものを十数年
やってきましたが、
そうした「表現」をつきつめていくと、
やはり、「ことば」につきあたります。
その、「ことば」が
たくさん出ているのが辞書。
日本では『言海』の大槻文彦からはじまって、
以前は、膨大な数のことばの宇宙を
一人でつくっていたそうです。
『大漢和辞典』全13巻という
世界最大といわれる
巨大な漢和辞典を編纂したのが、
でした。
500セットの一括発注を受けたそうです。
『文芸春秋2008季刊秋号 素晴らしき日本語の世界』
には、「辞書界の巨人」の一人として、
評論家の紀田順一郎氏が諸橋轍次を紹介しています。
実際の作業がスタートしたのは
昭和4年(1929)、ちょうど漢和辞典を
企画していた鈴木一平(大修館書店社長)の
依頼によるが、諸橋はすでに四十五歳だった。
世田谷の自宅を編纂所として、
まずカード作りから始め、
出典はすべて記憶やカンで調べあげた。
風でカードが飛ばないように、
真夏でも窓を閉め切って作業を行った。
風でカードが飛ばないように、
真夏でも窓を閉め切って
作業を行った。
戦時中は助手たちが
相次いで軍隊にとられ、
諸橋自身も片方の目が
失明同然となってしまった。
(中略)
『大漢和辞典』が昭和三十五年(1960)に
完成したとき、
諸橋は七十六歳だった。
編纂期間は三十五年、関係者は延べ二十五万八千人、
総経費九億円という大事業だった。
出版記念会で諸橋は控えめに編纂の苦労を
述べたが、「おれを聞いて日本人が
頼もしくなった」(安倍能成)という声も出た。
(中略)
諸橋轍次の故郷、
新潟県南蒲原郡下田村(現・三条市)には、
平成四年(1992)に完成した
諸橋轍次記念館があり、
その外壁には、
「行不由径」(ゆくにこみちによらず
‐小さな枝道を行かずに大道を歩め)
という信条が刻まれている。
「行不由径」(ゆくにこみちによらず)、
胸にずきんと響くことばです。
大道を歩み、いずれは、
『大漢和辞典』全巻を傍らに置いて、
仕事をするようになりたい、
あらためてそう思いました。
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