口語文は気の抜けたビール?
コラムニストの山本夏彦(故人)は
中島敦の『李陵』を引用した上で
こう書かれている。
「李陵」の発端である。
弱年の私は読んでほとんど恍惚とした。
日本語が失ったリズムと力が
ここには躍動している。
『完本 文語文』より
ご存知のように中島敦の小説は、
当用漢字に出ていない漢語のオンパレード
である。
それでも、教科書に載っていることでわかるが、
高校生でも読めてしまう。
それを山本夏彦は、ずばり
「文はリズムがあれば分るのである」(前掲書より)
としている。
そして
口語文は意味が分っても朗読に耐えない。
小中学校では昭和初年以来次第に
暗誦させなくなった。
文語文が教材中から減ったからである。
(前掲書より)
自分もあこがれを抱いているだけで、
文語はろくに読めない日本人の一人だ。
それでも、一度文語にふれるてしまうと、
同じ内容の口語文を見ても、
気が抜けたビールや炭酸飲料のようで、
どうも飲む気にはなれなくなる。
そんなことを何度も経験している。
The comments to this entry are closed.
Comments