母への償いは同じ病になることでしか他になかった・・・
母の死後すぐ、まったく同じ多発性のう胞腎という難病にかかったのは、母への贖罪だったのだということに気づいた。
のう胞腎とは、腎臓ばかりでなく肝臓やその他の内臓にも移りながらのう胞が膨らんでいく病である。母は60前後だというのに、妊娠を象った土偶のような腹になり膨らみ続けた。死ぬ間際、手術によってその腹が引き裂かれたが、中は腐敗していて手をつけられる状態ではなかった。人間の腹の中が生きながら腐敗するとはどうしても受け入れられなかった。それが母であるだけに医師から事実を聞いたふりしながらも心の中は完全に拒否していた。
父の死亡後、自分への母のほんとうの気持ちを知った。そして母までが危篤となり目の前の息子に謝罪をする機会を与えずにこの世を去った。残された息子の自分はドロドロと湧き出てくる絶望、憎しみ、悲しみ・・・の捌け口を失う。せき止められたドロドロの膿はやがて、のう胞となって腎臓や肝臓などの内臓へ押し寄せる。
母の命を奪ったのと同じ病となり恐怖におののくとともに、それ以上に快感に浸っていたのも事実であった。吹き出たドロドロの膿に浸って、汚臭と不快な感触に体全体くるまれながらも、心の奥底では不思議な快感を覚えていた。のう胞のうみ(膿および海)にぷかぷかと浸かっている。そんな心境であった。母の死後ようやく手に入れた平安のようにも思えた。自分のからだに残された母への償いの道は、自分が母と同じ多発性のう胞腎になるしかなかったのだ。
その事に最近気づいた。
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