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February 02, 2009

われわれにはもう“身体”がない

ぼくたちが今、取り戻さなくてはならないのは、

“健康”というビジネス社会の中で、

すかすかにうすっぺらにされ、なんの手ごたえも

なくしてしまったような言葉ではなく、

自分の“身体”ではないのか。

その証拠に、あなたは“健康”と言葉を発して、

あるいは“自分の健康”と今、言って、

切実なるもの、なんとしても守らなければならないもの

とか取り戻さなくてはならないものと

感じられるかどうか。

“自分の健康”と言って、まるで他人事のように

感じてしまっているということはないか。

それは、“健康”という言葉の性質というよりも、

もうわれわれが“身体”を失っているからと

思うべきではないか。

ぼくたちには、自分の“身体”というものが

ほとんどなく、

もちろん、姿かたちはあっても、それを実感として

とらえられないならば、“身体”はないと

いうのと、まったく同じであり、

「身体はない」ということである。

“身体”がないからこそ、われわれには

真に痛みを感じることができず、切実に

“健康”ということばを使えないのだ。

しかもその言葉自体が資本主義社会の中で、

マスコミなどによって、ボロボロにされ、すかしてみると

向こうが見えるような薄っぺらなものになって

宙をふわふわ浮いているだけの

中身のまったくないつまり“け”と“ん”と

“こ”と“う”をただ単に順番に並べたもの

にされてしまったのだ。

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