目立たぬ人間
ずっと目立つ人の方が目立たない人よりも偉いと思ってきました。
その人が現れるとその場がぱっと明るくなるような華やかな人がいます。一方でそこにいるかいないかわからないような存在の人もいます。自分がただ黙っていれば目立たない方の人間のせいでしょうか、いつも目立たなければならないとの焦燥を感じつつ、とくに若い頃は目立たない他人を見下げてきたような気がします。
ただ最近はほんとうに偉い人はもしかしたら目立っていない人かもしれないぞとも思い始めています。少なくとも、目立たない人の凄さがわかるような眼力を養わなければとおもいます。そうした飛びぬけた眼力の持ち主というのは自分を映し鏡として徹することができるような透明感のある目立たない人であるかもしれません。
昨年亡くなった阿久悠さん作詞、やはり故人である河島英五さんが歌っている『時代おくれ』にもさびの部分にこんな歌詞があります。
目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは 無理をせず
人の心を見つめ続ける
時代おくれの男になりたい。
少し前まではどこにでもいたこんな中年男性が、時代に取り残されどこにも居場所がなくなってしまったところに日本人の悲劇があるように思えます。人々がみな、目立とう、はしゃごう、似合わぬことでも無理をしてやろうと人の心が置いてけぼりにされた時代の先端でつぎつぎとヒットを飛ばしながら、このような歌詞を河島英五さんにプレゼントしていた阿久悠さんに底知れぬものを感じます。
目立たぬ男性がただのしょぼくれた中年にしかならない時代がはやく終わりを告げることを切にのぞみます。
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