自分を変えるー東洋思想の本質
本を読んでいて、簡単に読める本もいいものはいいのだけれど、良書だけれど自分にとって難解なものにチャレンジすると簡単なものよりも得られる手ごたえが違う。そういうものは気力、体力-全身のエネルギーがいる。体調がすこぶる悪い時などなかなか読めるものではない。
簡単に読みすすめることができるのだけれども、得るものが大きいといつも感心するのが、小林正観さんの本である。おそらく仏教からきているのだろう深い哲理を、誰にでもわかりやすく、明快に書かれている。
先日、新古書店で手にした『笑顔で光って輝いて』には、もう「はじめに」から驚いた。
ずいぶんたくさんの相談を受けてきました。
そのおかげでたくさんの答えを天からいただいてきました。
相談事の解決法は、大別するとふたつ。西洋的な解決方法と、東洋的な解決方法と、です。
西洋的な解決方法はおもに学校で教わりました。「努力して」「がんばって」自分を取り囲んでいる状況を変えて自分の思うとおりにする、というのがその方法です。「私」の外を変える方法です。
それに対し、「私」のほうを変える、「私が変わる」という方法もあります。どちらがよくてどちらが悪いという話ではありません。
たとえば、職場が大声の飛び交うところだとします。怒号、罵声、イライラが満ちているとしましょう。その状態を「私」の気に入るようにする、変えるというのは至難の技でしょう。
それを、「私」が気にしない、さらに進んで「気にならない」ようになったら、別に変える必要がありません。「気にならない私」ができあがったら、職場が荒れていても、淡々と!ニコニコと、ゆったり生きていけます。
「西洋的な解決方法と、東洋的な解決方法」と書かれていますが、これは「西洋思想と東洋思想」と書き換えることができるのではないだろうか。自分もそんなに詳しいわけではなく、好きで主に東洋思想系の書物を読んでいるのだが、小林正観さんは東洋思想の真髄をずばりとしかも分りやすい言葉で書かれている。
安岡正篤著『百朝集』では、大塩平八郎の言葉の解説部分で、こう書かれている。
君子は巧妙富貴を念とせず、学問成熟を旨とする。その学問とは何であるか、窮して困(くるし)まず、憂えて意(こころ)衰えず、禍福終始を知って惑わぬ心術を養うを本義とする。
「窮して困(くるし)まず、憂えて意(こころ)衰えず、禍福終始を知って惑わぬ」とは、「まさに「気にならない私」になることと同じことだ。
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