遺伝子のON/OFFとは魂のON/OFF?②
(前回よりのつづき)
晴れていると「日差しが暑すぎる」と文句をいい、雨がふれば「濡れるからうっとうしい」という、そんな人が環境に左右されている人なのでしょうね。「今日は晴れていてすがすがしい」また「雨の日のしっとりとした空気が好き」という心を持った、つまり環境に左右されずに、ガンでいえば抑制遺伝子をONにして、発ガン遺伝子をOFFにできるひとなのでしょう。
スピリチュアル的にいえば、村上和雄教授のいう心とは魂をおおっている心をいい、遺伝子とは魂のことととらえることはできないでしょうか。
宗教家であり、日本における自然農法の創始者、岡田茂吉は昭和18年の論文でこう書いています。
本来、人間の霊体はその中心に心があり、心の中心に魂があって、三段になっているのである。そうして魂本来は良心そのものであるが、断えず外界からの影響によって曇らされるのである。即ち、魂本来は日月玉の如き光明であるが、その外殻である心が曇れば、魂の光輝は遮断され、魂は眠るのである。故に、明鏡止水の如き心境にあれば、魂は晴天の日月の如く輝くのである。(「明日の医術第三編『罪穢と病気』」より)
これは村上和雄教授の主張されている「心の持ち方如何によって遺伝子のONN/OFFは決まる」と同じことをいっているのではないでしょうか。
「魂本来は日月玉の如き光明であるが、その外殻である心が曇れば、魂の光輝は遮断され、魂は眠るのである」とは、魂はもともときれいなもので、底知れぬパワーのあるものであるけれども、考え方‐心の持ち方によって、魂の光は失せ、力を発揮できなくなるといっています。この魂を遺伝子ととらえれば、ピタリとあてはまっているように思うのですがいかがでしょう。ただ、遺伝子の場合は、人間の視点からすれば悪い遺伝子もあって、それはOFFのままであってほしいものでしょう。
魂が遺伝子にあたるとすれば、岡田茂吉は「魂本来は日月玉の如き光明」であるから、遺伝子もそうでなければならないはずなのにおかしいということになります。しかし、よく考えてみれば、ONにしたくない遺伝子も人間の側からみればそうだけであって、悪いといわれる遺伝子も何か使命があって人間に埋め込まれたのかもしれません。見方をかえれば遺伝子には善も悪もないのかもしれません。
そのバランス失調は発ガン遺伝子ON、ガン抑制遺伝子OFFというかたちをとります。このON/OFFは、その人間のものの考え方によっても違ってくるように思われます。(『遺伝子の暗号』より)
との村上和雄教授の説は、これからもっと魂と遺伝子の関係という視点から、研究されていっていいことのように思います。(終わり)
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