之を楽しむ者に如かず②
(前よりのつづき)
省みて、自分は「知る」だけにとどまっていて、「好む」にも至っていないのではないか。「楽しむ」という境地にはほんとうにはこれまでの人生に一度も至っていないのかもしれない。もし「楽しむ」があったとすれば、幼児期から少年期にかけて空想にふけっていたことだ。そういえば、その頃の心境を取り戻すことがここ数年のテーマでもあった。何かに夢中になりたい。しかし、夢中になれない。夢中になれそうなものが見つかっても、それをやることによってどれだけ社会や他人から評価されるかが気になってしまう。
(前略)
楽しみだからその中に没入し、他を気にすることなどない。人に気にいられようとか、社会に評価されて有名になろうとか、そんな欲望がちらちらするうちは、まだ本物でないのだ。他人や世間の評価、つまり自分以外の価値を気にするようでは、そのことに真に打ち込んでいるとはいえない。
(後略)(中野孝次著『幸福になるための言葉45』より)
「まだ本物でない」、その言葉が胸にしみる。中野孝次はさらに天職だけではないと老後のことにまで言及している。
(次回へつづく)
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