之を楽しむ者に如かず③(終)~定年後の趣味~
(前回よりのつづき)
(前略)
しかし、そういった天職という高級な話でなくともいい。今は老年が長く、老年をいかに充実させて生きるかが大きな問題になっているが、そのときもすべては何か本当に好きなものを持っているかどうかにかかっている。趣味といっても世界は広く、読書が生き甲斐という人もあれば、音楽、絵描き、染めもの、織物、短歌、俳句、習字、外国語、マラソン、山歩き、外国旅行、等々いろいろある。碁、将棋だっていい。とにかく何でも本当に好きになって、それが楽しみにまでなれば、人生を輝かしてくれる。趣味が何もない人と、真に情熱をこめたものをもつ人とでは、老年の日々がまるでちがってくる。
(中略)
これに対し、勤めているあいだじゅう会社や工場や官庁のことしか念頭になかった、いわゆる会社人間は定年後どうしようもない。わたしには信じられないが、個人的な趣味を一つも持たないという人も、世の中にはいるのであった。定年とは自己一個になることだから、そのとき何もすることがないのだ。(中野孝次著『幸福になるための言葉45』より。※傍線は筆者が記入)
「定年とは自己一個になることだから」が実によく効いている。「自己一個」、これはほんとうをいえば定年後ばかりでなく現役時代もそうであったはずだ。ただ「自己」というものを見てみぬふりをしてきただけにすぎない。
いまだ現役の者としては、たとえ会社に勤めていても、金のための仕事をしているにすぎなくとも「自己一個」を忘れずにいきたいものだ。または時折、「自己一個」に還る時間をもつことが肝要であろう。きっと「自己一個」になることのみが、ほんとうに生きていることだから。
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