どろどろを表現したい③(終)
(前回よりの続き) 一方で本の場合は、本の数だけチャンネルがあるととらえられる。書店に行けば、そこが大きな書店であればあるほど無数のチャンネルが書棚に設置されている。だから1つや2つ、あきらかに読む人の心象を害するような真実が描かれていたとしても、テレビのようなアレルギー反応は世間から沸き起こりにくい。 ただベストセラーの類は、それが大きければ大きいほど新聞やテレビなどのマスメディアに頼る比重というものは高くなっているようにもお見受けする。それでも、テレビや新聞そのものよりもまだそのままを描きやすいのかもしれない。 かくて、われわれはまるで無菌室のようなとてもきれいで清潔な社会というものの中に住んでいる。そこでは勿論、お互いのどろどろをなめあうのは愚か、見せあうこともとうぜんのごとくにご法度に近い状態となっている。ほんとうの表現なんてもってのほかかもしれない。ただどうしてもどろどろを出したい人の場が本の世界には昔よりいまだに存在しているように思い過ごしかもしれないがぼくはとらえているのである。 ところで、このブログで書けばいいだろう、げんに書いているのではないかと言う人がいるかもしれない。どうも書いていてブログはどろどろを客観的に表現しにくいメディアのような気がして仕方がないのである。どろどろをただどろどろのまま書くのは表現といいたくはない。それは自分の技術不足と両方あるであろう。(終)
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