何を選ぶか?~『呻吟語』抄録にみる編者の個性
論語のような語録の抄録でも、何を書き抜いたかによって、編集した人の個性が出るようです。いうなれば、何を選ぶか・・・。その人の現在も過去において何を選んできたかが表れているのであって、抄録においても選ぶ者の色が出るのは当然かもしれません。
※抄録とは、広辞苑で引くと「書き抜くこと。また、書き抜いたもの。ぬきがき」とあります。
今年、思い切って公田連太郎訳『呻吟語』を買いました。昭和30年発行であり古書しかなく、単行本の新刊が数冊買えてしまう、自分としては懐がずきずきと痛むような買い物だったのですが、後悔はしておりません。口語訳がなく、読み下し文までのために四苦八苦しているのですが、少しずつ読み進めています。
これは、明治以降、おそらくそれ以前より、日本で唯一、呂新吾の『呻吟語』を全訳注した本です。その後も、すべてを掲載したものはなく、あるのは抄録や解説本のみのはずです。
抄録では、明徳出版社、疋田啓祐訳のものがありますが読んでおりません。私がもっているのは、徳間書店、守屋洋編・訳のものと、講談社学術文庫、荒木見悟によるものです。それから、解説した本では、致知出版社、安岡正篤の『呻吟語を読む』、そして同じく致知出版社、安岡正篤のお弟子さん、豊田良平の『古典を活学する』にも『呻吟語』のことが書かれています。
おもしろいと思ったのは、講談社学術文庫、荒木見悟の本だけには取り上げられていないで、他の本にはすべてある部分があることです。しかも、公田連太郎も豊田良平も重要な箇所とらえています。それがこの一条です。
深沈厚重は是れ第一等の資質。
磊落豪雄は是れ第二等の資質。
聡明才弁は是れ第三等の資質。(性命)
〔訳〕どっしりと深く沈潜して厚み、重みがあるというのはこれは人間としての第一等の資質である。大きな石がごろごろしておるように、線が太くて物事にこだわらず、器量があるというのは、これは第二等の資質である。頭が良くて才があり、弁が立つというのは、これは第三等の資質である。
安岡正篤著『呻吟語を読む』より
(次回へとつづく)
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