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March 12, 2009

何を選ぶか?~『呻吟語』抄録にみる編者の個性 ②

(前回-311日よりのつづき)

深沈厚重は是れ第一等の資質。

磊落豪雄は是れ第二等の資質。

聡明才弁は是れ第三等の資質。

この『呻吟語』の一文だけで、一冊の名著を書き上げてしまったのが、やはり安岡正篤の弟子であった経済評論家・伊藤肇です。

代表作ともいえる『人間的魅力の研究』は、3つの資質に沿って、歴史上の人物から現代に至るまで縦横無尽に人間の魅力を語っています。

 

歴史上の人物でいえば、

                                                                              

“深沈厚重”は、良寛、西郷隆盛、等。

 “磊落豪雄”は、道元、日蓮、桐野利秋、等。

 “聡明才弁”は、曹操、馬謖(ばしょく-『三国志』の人物)、等。

                                                                                                                                                               

『人間的魅力の研究』を読むと、上記の『呻吟語』の言葉を骨格に、肉付けして、皮膚で覆ったかのような具体的なイメージを得ることができます。

ところで、『呻吟語』の全巻訳注をした公田連太郎は、『深沈厚重は是れ第一等の資質。~ 』の解説で、

                                                                            

呂新吾先生が深沈厚重なる資質を最も喜ぶこと、以て観る可し。深く味わうべきなり。是れ呻吟語全巻を貫く思想なり(※下線は筆者)

                                                                                                                                                               

と、この文の重要性を書いています。

それについては、『呻吟語』を愛する多くの方にとって異論のないところだと思います。

ところが、講談社学術文庫、荒木見悟の『呻吟語』には『深沈厚重は是れ第一等の資質。~ 』が載せられていません。同書の解説文には、「公田連太郎氏の『呻吟語』(明徳出版社刊)は、その増補本の一種を、全巻にわたり訓読文として書き下ろしたものである」と書かれており、おそらく講談社学術文庫版の『呻吟語』を訳出する際に、公田連太郎訳注を参考にしたと思われます。それにも関わらず外しているのは、何か深い考えがあってのことではないかと考えたくなります。

中国や日本では抄録本や増補本でさまざまな『呻吟語』が出ていますが、一番長いもので千九百七十六の文章を収録しているそうです。荒木見悟のものはそのうちの二百十八ですが、紙数の制限があるとはいえ、それらに絞ったのはどのような思想に基づくものなのか関心を抱きました。

                                                                              

(次回へつづく)

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Comments

私も、伊藤肇氏の書籍から呻吟語に至った人間です。
「人間的魅力の研究」「人間学」「左遷の哲学」とまわり
道をしましたが.....
現在は、徳間書店、明徳出版社の書籍を読み終えて、モモタロウ様と同じく、公田連太郎氏の書籍に取り組んでみようと思っているところです。
付け焼き刃ですが、「論語」「孟子」「大学中庸」「老子」
「荘子」と新釈漢文体系で、1回を読み終えて2回目のチャレンジ中です。
モモタロウ様のご年齢はわかりませんが、私も年齢相応で現在は休職して病気療養中の身です。
もう少し、四書の基礎を作ってから、公田氏の書籍に取り組んだほうがよろしいでしょうか?
アドバイスをいただれば、幸いです。

Posted by: みるきー | August 09, 2013 at 11:23 PM

みるきー様
コメント有難うございます。
私は、好きな読書の枠の中で自己流で古典を読んできたものであり、
四書の基礎ができているということは到底言えず、
アドバイスできるような立場にある者では全くありませんが、
感じていることを書かせていただきます。
田中忠治著『朱子の読書法』には、
「こうして陽明から『論語』へ、『論語』から陽明へと循環して、
読書を進めていきました。」とあります。(※陽明とは『伝習録』のこと)
私は、最初は、日本の書物ですが『言志録』から入り、
『論語』へと行き、また『言志録』そして『呻吟語』に入ったり
“循環”してましたので、そのくだりを読んだとき、是認されたように感じました。
公田連太郎『呻吟語』に「身を殺すものは是れ刀剣にあらず(中略)自家の心、自家を殺し了(をは)る」という言がありますが、これは私がもっている『呻吟語』に関する本(6種類くらい)には、見落としていなければないはずです。病で休業すると、その病で「呻く」以上に、その環境からくる非難や世間の目に「呻き」ます。それがこの言によって結局は「自分の心」にあるのだということを認めるだけで、違いました。
  そうした抄訳本にはない言葉と出会えるのも全文掲載の公田『呻吟語』の魅力です。しっかりとした学問ができていないのは私の欠点であるのかもしれませんが、さきほどの言葉は、タイミングよく出会えたからこそ、より響いたのだと思います。
  ただ公田『呻吟語』には口語訳がなく、読み下し文と「注」までですので、読解するのに苦労しています。
  ところで、伊藤肇氏の書物は今、あまり注目されていませんが、あらためて読み直しても素晴らしいです。後世に残る書物(作家)の1つであると思います。
 コメント、ありがとうございました。おかげさまで、あらためて自分を見つめる機会を得ました。
 


Posted by: モモタロウ | August 10, 2013 at 01:37 PM

モモタロウ様 ご丁寧なご返信ありがとうございます。
これまでのモモタロウ様の精進が、行間に感じられます。
伝習録もいずれは読んでみたい書籍です。
伊藤肇氏の「左遷の哲学」P73に王陽明氏の引用があり、すごくひかれております。
「その尽く天下に信じられんよりは、真に一人に信じられんに若かず。」

助言いただいた、「循環式読書法」私も実践します。「四書」と「呻吟語」「菜根譚」「伝習録」は、しっかりと結びついているのでは、と思う今日このごろです。
また、呻吟語の一節のご紹介、ありがとうございます。
拙い知識ですが今までの読書で、己れを精進する糧を得るには、外に向けてではなく、己れの「内」にある糧を得ることが
大切と思うようになりました。
一節の「自家の心」、本当に深い意味を持っていますね。

中国の古典は、人間が一生をかけて読んでいくべき書物と感じるようになりました。
温かいアドバイスありがとうございます。
時節柄、お体にはご自愛ください。

Posted by: みるきー | August 14, 2013 at 10:15 AM

みるきー様
『伝習録』を私もまだ読んでいませんが、必読書の1つに考えています。
「その尽く天下に信じられんよりは、真に一人に信じられんに若かず。」
いい言葉です。さっそく『左遷の哲学』を書棚から探し出し、その一節を読み返しました。
「一人、之を信じて少しとなさず」
我田引水になるかもしれませんが、何か本気で表現するときは、たった一人でいいから「心を打つ」ものを書こうと思って書くようにしています。いつか、ほんとうに心を打たれた「一人」を与えられるようこれからも精進して行こうと思います。
いい言葉を思い出させてくださってありがとうございました。

「今までの読書で、己れを精進する糧を得るには、外に向けてではなく、己れの「内」にある糧を得ることが大切と思うようになりました。」
これはまさに、『言志晩録』の「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め」ではないかと思いました。
「自分の一燈とは何であろう」と考え続けてやはり、そこ、誰もが自分の心の中に存在する神といいますか、神性といいますか・・・、に至りました。

これは循環から外れすぎかもしれませんが、ご縁に従って、たとえば本屋などでシンクロニシティを感じて読んだり・・・―することを大切にしています。すると、中国古典の一文の意味がよりわかるようになることがあります。
最近も「味わうために、地球に来たんだ」という言葉をスピリチュアル系の本で出会い、『中庸』の「素する」の意味がよりわかったような気がしました。たとえば逆境にあっては逆境に素する-逆境を味わえばいいのだと・・・

ただ『朱子の読書法』でも乱読を戒めています。
ここのところ暑さにかまけて、古典の読書を怠っていたのですが、みるきー様のコメントをきっかけに、また読み始めて、暑さが気にならなくなるほどのエネルギーが与えられたような気がしました。鏡の自分の表情も違いました。

乱読に注意し、中庸をとりながら、
儒教でえいえば『四書五経』などの根本経典を中心に、『呻吟語』『言志録』『伝習録』など自分に合った古典、そしてその周囲にご縁に従う読書というさらなる円環をつくり(これには伊藤肇の書物もはいりますが)、読書の循環を作っていければ、こうやって一生読んでいければと思っております。
みるきー様のおかげで、自己の指針を見つめなおすことができました。また大いなる励ましをいただきました。有難うございました。

Posted by: モモタロウ | August 22, 2013 at 09:46 PM

後身の者へのご助言ありがとうございます。
「乱読に注意し」肝に命じて精進します。

私もモモタロウ様と同様に、「四書」「呻吟語」「伝習録」まだ
未読ですが、「言志録」「近思録」を生涯の糧していければと
思っております。
「己れを精進する糧」の一句、実感するところです。(まだ、自分のものとはなっておりませんが)

ご存知とは思いましたが、冒頭であげておられる「呻吟語」の
性命7章、明徳出版社の疋田啓佑氏の呻吟語がP49で取り上げておられます。
蛇足とは思いましたが、一筆書き添えます。

Posted by: みるきー | August 29, 2013 at 11:17 AM

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