« March 2009 | Main | May 2009 »

April 30, 2009

自分を知るために謙虚になりたい

今日、新聞のある本の宣伝欄に「『できる』人のノウハウを盗んではいけない。」との言葉があった。本の中ではどう解説されているのかわからないが、心に引っ掛かった。

成功本でもなんでも、「できる人」が書いていて「それを真似すれば自分でも成功できる」と思わせるところに、売れるためのテクニックがある。自分を知らずに、闇雲に真似たからといって、同じように幸福な人生を歩めるものではない。しかし、自分を掴むのが非常に難しい。

 近頃は「謙虚」ということを自分に言い聞かせている。「謙虚な気持ち」でいることは人間関係を円滑にするためだけではなくて、ただ一人でいるときにでも事がうまく運ぶような気がするからだ。たとえば、自分の心や体を鍛えるために何かをするのでも、しばらく続けていると「俺はこれだけ続けられるんだ。どうだ、たいしたものだろう」という驕りがどこかででてきやすい。そういう気持ちが出てきてしまうと長く続けられなくなる。驕りが、自分の力というものを正確に見ずに、「もっとできるだろう」とか「この俺にできないわけはない」と一気により大変なことを始めてしまうからだ。するといきなり、続かなくなってしまう。

 逆に「自分はろくなものではない」と謙虚な気持ちでいると、無理なことはしないから長続きできる。長く続けているから少しずつ少しずつレベルを上げていくことができる。謙虚な気持ちでいると等身大の自分を見つめることができるのだ。

 ただ、驕っている心は論外だが、そのままの自分を見つめようと思っても、どうしても自分のことだからひいき目に見てしまう。だから、「自分はろくでもない」というくらいの見方を意識していた方が、結果的には自分というものをより正確に把握できやすそうだ。私小説を書くときには、ありのままの自分を書こうとするよりも、ちょっと卑下するくらいの視線で書いた方がいいものが書けるそうだ。

 こうして自分をより正確に見つめられるようになれば、成功者の成功本をまるごと真似ようとするような愚は少なくともなくなるだろう。

| | Comments (0)

April 28, 2009

どうでもいいことだけれど・・・小林つながり・・・




 さきほど書いた記事(「“ろくでもないものだ”と思っていないと“ろくでもないもの”をつくってしまう」)が、偶然にも、小林正観と小林秀雄、“小林つながり”であったということに気がついた。

  まあ、どうでもいいことだけれど・・・。

  そういやあ、さっきメールの返信をした人は、“秀雄”という字ではないけど“ひでお”さんだった。

  まあ、これもどうでもいいことだった。

| | Comments (0)

“ろくでもないものだ”と思っていないと“ろくでもないもの”をつくってしまう

「自分なんて、ろくでもないもんだ」と思っていた方がいいと、小林正観の本で読んだけど、実際そういうスタンスで暮らした方が何かと事がうまく運んでいる。

 ただ“ものづくり”についてはどうなんだ、自分がなくてはろくなものはつくれないのではないかとよぎる。ふと小林秀雄の講演テープで聞いたことを思い出した。個性、個性、・・・と小説でもなんでもはじめから自分を出そうとおもってつくったものにろくなものはない。人を楽しませる等のために対象に没入してつくりあげたものの中から、自ずとにじみでてくるものが本当の個性なのだ。といったような内容だった。 

やはり、そういうことなのかもしれないなぁ。

| | Comments (0)

April 27, 2009

正しいこと正しくないことを決めるがゆえに人は人を見下し蔑む

世の中に正しいこと正しくないことなどどこにもないという立場に立ったとしよう。

  すると、苦しんで救いを求めてきている人に対して、自分はこの人よりましだと優越感に浸ることもなく、あなたは「まだまだ」だからこのような辛酸をなめているのだと蔑むこともなくなるだろう。

ただ、問題はほんとうに正しいこと正しくないことはないのかということだ。弱いものいじめだとか、罪もない人を殺すとか、市民を巻き添えに戦争をする・・・など、どう見ても正しくないとしか思えない。

しかし、正しいこと正しくないことを人間がつくったがゆえに差別意識が生まれ、軽蔑やいじめ、争いにつながっているというのも確かであるように思える。

そう考えていくと、どうすればいいのかさっぱりわからなくなる。

| | Comments (0)

April 23, 2009

今日の夕景

2009423_013_2














戻ってくると、また違った表情をみせてくれた・・・

| | Comments (0)

April 21, 2009

殺すぞと脅されても筆(ペン)を曲げないかったであろう男

今、世の中には御用学者、御用評論家がいて暗躍をしているようです。彼らのせいで日本がどれだけ悪くなっているか表立ってみえる者ばかりではないだろうだけに、計り知れないものがあります。

 明治の文人、徳富蘇峰も結局は、時の権力者にこびへつらった文化人の一人であったといっても過言ではないようです。

徳富蘇峰は時の権力者、山縣有朋の伝記を書き、豪華な別荘を9つももち、金に汚かった山縣に対して「極めて質実に、極めて謹厳なる、武人的生活」とオベンチャラをいっています。それに対して、伝記作家、小島直記はこう書いています。

文章には、レトリックというものがあります。内容を強調し、あるいは美化するためのテクニックです。中国ではこれを「舞文曲筆」といいました。しかし、蘇峰のこの文章は、このレトリックの一種ということはできません。なぜならば事実を歪曲し、虚偽を読者に伝えようとしているからです。端的にいって、これが蘇峰の権門に対する媚態、お世辞なのです。三宅雪嶺ならば、殺すぞ、と脅されてもしなかったことなのです。

ここに、同じく文章に志したとはいっても、明らかな落差、相違を見ることができます。

「『嶺』と『峰』とどちらがいいか?」

と聞かれれば、

「甲乙なし」

と答えるほかはないでしょう。しかし、それが雅号に使われた場合、区別ができる。

「『雪嶺』よし、『蘇峰』好まず」

 両文人を別ける座標はただ一つ、「権力」にどう対処したか、筆(ペン)の権威を権力の上においたかどうか、ということであります。

 自分は「殺すぞ」と脅されても筆を曲げずにいられるか。そういうものを持っているか。どんな実績を上げるよりも、そこがあるかないかが、文章に志すものを一流であるか二流であるか別けるところなのでしょう。

| | Comments (0)

April 20, 2009

食べ過ぎで腹痛? ~敬(けい)は大切だ!

 先々週の金曜日(10日)の夜は、腹痛で一晩眠れなかった。こんなに長く痛むのは初めてかもしれない。痛みはほとんどとれたが、いまだに胃腸の調子がよろしくない。

 激痛があったときは、これからはもう食べすぎはやめようと反省した。やはり佐藤一斎の「言志耊録」にも「つつしむ」ことの大切さが出ている。

道理は往(ゆ)くとして然ざるは無し。敬の一字は、固(も)と終身の工夫なり。養生の訣(けつ)も、亦(また)一箇(いっこ)の敬(けい)に帰(き)す。

〔訳文〕物事の筋道は、どちらに往っても変わるものではない。(つまり古今東西に渉って同一理である。)敬(つつし)むの一字はもと身を修める工夫(主に精神的)であるが、暴飲暴食をつつしむことでもあって、生を養う要訣もまた、敬の一字に帰着する。

〔語義〕○養生―生を養う。生命を全うすること。

川上正光全訳注『言志四録(四) 言志耊録』より

「敬(けい)‐敬(つつし)む」ことは、人格を磨く上でも、健康のためにも大事。でもなかなかできないんだよなぁ。がんばらなくちゃ。

| | Comments (0)

April 19, 2009

解毒作用のある野菜

                                         

私は「病とは体内の毒素を排出する作用である」との考えをベースにもっています。

 現代人は、どうしても知らず知らずに、その毒素(食品添加物、残留農薬、有害ミネラル、ダイオキシンなど)を体内に入れてしまっています。

 その毒素に対して、どう対応するかが、現代人が健康を保つための重要な要素であると考えます。

解毒作用のある野菜

1 体内の有害物質を包み込んで吸収する

   野菜には、体内に入った有害物質を血液中で包み込み、そのまま細胞に吸収させない成分をふくむものがあります。

    

タマネギ、ニンニク、ニラ、長ネギ、など

2        体内の有害物質を無害化する

   体に入った有害物質を解毒し、無毒化するのは肝臓の役目。

肝臓の解毒力を高める野菜を食べましょう。

    ブロッコリー、カリフラワー、大根、キャベツ、白菜、わさび等のアブラナ科の野菜、など

 

3 有害物質の体外への排出をうながす

   解毒の次のステップは排出。排出のほとんどは便からなので、便通をうながす食物繊維が豊富なものを食べましょう。

    キノコ、海藻、リンゴなどの果物、ゴボウ、里芋などの根菜類、など

以上、「ナチュラル&オルタナティブ ヘルスブック1『なぜ病気になるのか?を食べることから考える』」の「解毒・除毒の知恵」よりピックアップ




                                      

ナチュラル&オルタナティブ ヘルスブック1 

「『なぜ病気になるのか?』を食べることから考える」

                                    

1

私が編集に関わったシリーズの次のシリーズです

1575円(税込 送料無料)

+商品代引手数料・1件につき210円
※税込5,250円以上のご注文で代引手数料無料です。

 

                                        

              

この本がほしい方は、

船井幸雄の本物商品が自然育児&子育てを応援!


の画面左下にあるお問い合わせより申し込まれるか、
inochinochikara@jcom.home.ne.jpからでもけっこうです。

                                                          

希望する本の名前と冊数、お届け先の郵便番号、住所、氏名、電話番号を書いて、

お知らせください。

                                

| | Comments (0)

文章を書く自由、文人の誇り、「志」

小島直記著『志 かつて日本にあったもの』を読んでいて、非常に反省させられた。それは次の部分に象徴されている著者のメッセージによる。

三宅雪嶺は明治四十年十二月四十七歳のとき、京都帝国大学初代文科大学学長就任の勧誘があったが、これを辞退しました。

「先生は、講壇や教壇での講学に全然意を絶ったかというと、そうでなく、先生が嫌ったのは、官の監督制限下に入ること」、「それは要するに文部官吏になること」(柳田泉『哲人 三宅雪嶺先生』)だったからです。

 生涯を通じて権力、権力者に対して接近せず、媚態を示さなかったのが雪嶺であり、だからこそ「大逆人」として死刑になる幸徳秋水の本に序文を書き、「窮鼠・社鼠」の痛烈な弾劾を行うことも可能だったのです。文章を書く自由、文人の誇り、「志」はこうして護られたのでした。(※傍線は筆者)

 自分がネットショップを始めたのも、「書く」仕事をやっていく上で、いざというときは「やりません」といえる環境をつくりたかったことも理由の一つだった。その初心を忘れかけていた。自分で書いて、自分で収入を得る道を開発したたかった。つまり独立である。ビジネスばかりに走っていたのでは「志」からどんどん離れていってしまう。

| | Comments (0)

木田元書店に立ち寄りました

池袋のジュンク堂書店、木田元店長の木田元書店をのぞいた。哲学者、木田元氏の今まで読んできた本ばかりを集めて売られている。

たまたま最初に目にしたせいでもあるのだが、私が作家の師と仰ぐ小島直記先生の『まかり通る』があったのは嬉しかった。最近、読んで感銘を受けた『出生の秘密』や『漱石~母に愛されなかった子』の著者、三浦雅士氏の著作がいくつも並んでいたのも「そうだろうなあ」とあまり論拠のない納得をした。

大江健三郎書店をみた時もそうだったが、驚くのはその読書量である。哲学書はもちろん、文学、日本の古典文学あらゆるジャンルが揃っている。最初は、木田元氏は日本文学や日本の和歌や俳句から入ったそうだ(そのへんの消息は木田元著『なにもかも小林秀雄に教わった』にある)。

哲学者も文学者も小説家・・・も大家と呼ばれるまでになった人は、哲学も文学・・・それ相当の量を読破した上で、自分の資質に合わせて方向を選ぶのではないだろうか。

いや小説家や哲学者ばかりではない。科学者もそうなのかもしれない。湯川秀樹博士も専門にとらわれない相当に幅広い学識をもたれていたようである。

| | Comments (0)

April 11, 2009

諸葛孔明のことば 静以て身を修め・・・

                                                                                                                                                                        

                                                                                                                                                                     

静以て身を修め、険以て徳を養う。

(諸葛孔明がその子を戒めた言葉 『小学』より)

                                                                                                                                                               

君子の行いは、まず身を修めるのに静をもってし、徳を養うには険をもってする。

「静」は落ち着きのある、軽薄でないこと。

「険」は、財政的には倹約であるが、精神的には身を慎んで、でしゃばらないこと。

                                          

(以上、諸橋轍次『中国古典名言辞典』より)

| | Comments (0)

April 07, 2009

絢香と水嶋ヒロの電撃結婚!~不遇と表現の関係性~③(終)

(前回よりのつづき)

これで思い出したのが、私が以前書いていた楽天のブログにコメントしてくれた女子高校生がいた。

最初、アメリカによるイラク攻撃の記事に対して、感想をのべてくれたのだったが、深い内容でこれがまさか高校生によるものだとは考えもしなかった。彼女のブログを訪ねてみると、恋愛の詩や日々の暮らしを書いていたりして、まあ、この年頃の女の子の内容である。でも、時折、まったくそこからは垣間見ることができないような深い内容の言葉や文章がのせられる。私の記事にコメントを書いてくれたときは、どちらかというと彼女の大人モードだったように覚えている。

つまり、女子高校生そのままの溌剌と“キャピキャピ”した彼女と、そこからは想像だにできないような深く思索する大人の彼女が同居していたのだ。

じつに不思議だった。後者の彼女はどこから来ているのだろうか・・・。

ようやくわかる時が来た。彼女は、クローン病だったのだ。難病である。それがあるからこそ、普通の女子高生にはないもう1つの面が育てられていたのだ。それが良かったのか悪かったのかはわからない。ただ、ブログでしかその子のことは知らないが、病がなければ現時点でそこまでの成長はなかったであろうことは想像がつく。・・・

絢香に中村中、そしてこの女子高校生・・・。若い彼女たちを見ていても、人の心を打つ、感動させるには、病や不遇というものはなくてはならないものではないか、そう考えたりもする。

ところで広辞苑で「厚情(こうじょう)」の上の段にあった「甲状(こうじょう)」の意味に

(本来、甲は「よろい」。「かぶと」の意に誤用したのに基づく)かぶとうのような形。

とあった。「かぶと」といえば、水嶋ヒロが主演してそれをきっかけに注目を集めたのが「仮面ライダーカブト」。他人にそんなこと言ったら馬鹿にされるだろうが、私はめぐり合わせのような者-「必然」を感じてしまった。

私は絢香のこともそうだが、さらに水嶋ヒロのことはほとんど知らない。今風にいえば「イケメン」の彼だが、病の彼女を受け入れて結婚したのだからきっと包容力のある“いい奴”なのだろう。これからも彼女を包み込んで、二人ともに成長していってもらいたい。そして、絢香にはますます心ある歌声を聞かせてほしいし、水嶋ヒロには、ハートと存在感で勝負できる本物の役者へと育っていってもらいたいものだ。

(終わり)

                                            

※以上の記事を書いて後、ようやくテレビで会見の一端を見た。多くの方同様、私も好感を抱いた。24歳という若さなのにたいしたものである。彼女のためにも、イケメンの効力がなくなってからも存在感をあらせるようないい役者に育ってほしい・・・。

| | Comments (0)

April 05, 2009

絢香と水嶋ヒロの電撃結婚!~不遇と表現の関係性~②

(前回よりのつづき)

4月4日(土)の朝日新聞朝刊には2人の結婚を報じた上でこう書いている。

(前略)絢香さんは、病気療養のため来年からしばらくの間、歌手活動を休止することも明らかにした。甲状腺機能に異常が出るバセドー病で、デビューして間もなく発症したという。涙を浮かべながら「どうしても歌いたいと思っていたので(病気は)公表しないでいた」と話した。(後略)

とある。たまたま、その朝(44日)、手紙を書くのに「変わらぬご厚情をお願い申し上げる」の「厚情(こうじょう)」という文字を広辞苑で調べていたところ、その同じページのすぐ上の段に「甲状(こうじょう)」が出ていた。そこに、「甲状腺機能亢進症(こうじょうせんきのうこうしんしょう)」があり、意味がこう書かれていた。

甲状腺ホルモンの過剰分泌によっておきる病症。バセドー病が代表的。発汗増加、食欲増進、倦怠、体重減少、筋力低下、頻脈、手足のふるえなどがあり、いらいらして落ち着きがない。

 絢香も苦しみを抱えて生きていたのだ。ようやく、若さや見た目には似合わないあの歌声が腑に落ちた。

(次回へつづく)

| | Comments (0)

April 04, 2009

絢香と水嶋ヒロの電撃結婚!~不遇と表現の関係性~①

「電撃結婚!水嶋ヒロ」

昨日(43日)、家族で電車に乗っていたら、どこかのおじさんが読んでいるスポーツ新聞の一面に、こう文字が踊っていた。

おじさんは見かけによらず律儀な人なのか、座席で新聞を折り曲げて読んでいる。だから、われわれからは一部分しか見えない。

わたしは妻にいう

「水嶋ヒロって誰?」

「仮面ライダーカブトの人よ。今、人気あるの」

「ええ?彼の結婚だけで一面にのっちゃうの?きっと、相手も人気がある人で、ビッグカップルなんだよ」

「そうかなあ。今、水嶋ヒロもかなりの人気よ」

「いくらなんでも、結婚して彼一人だけでスポーツ新聞の一面にのるほどの俳優になったとは思えないな」

と私。スポーツ新聞はおじさん向けなのである。どれだけの(私も含めて)おじさんが水嶋ヒロのことを知っているだろうか。それに、彼のことはよく知らなかったが、私は一応、業界(テレビなど放送業界)にいた者である。しばらく離れているがまだ、そのへんのカンは衰えていない。

 おじさんが新聞を開いた。すると、

「絢香」

とあった。水嶋ヒロが向って左、絢香が右。ポジション的に右は前ということ。

「ほらね。相手が絢香ならわかるよ」

                                           

絢香(歌手)の歌声は、昨年の紅白で聞いた。たしか「三日月」だったかな。二十才そこそこの娘が、歌唱力は別としてなぜあそこまでのハートを出せるのだろうか。これも才能なのか、それにしても才能だけで表現できるものなのだろうかと疑問に思った・・・。

たとえば、年齢は少し上だが同世代の歌い手に「友達の歌」の中村中がいるが、彼女は性同一性障害と向き合って生きてきた。その不遇、苦しみの中で生まれたのが「友達の詩」をはじめとした彼女の人の心を打つ歌の数々であろう。一方、絢香のほうは画面で見る限り、元気いっぱいな明るい二十才の女の子である。

                                            

ところがちがっていたのだ・・・。

                                        

(次回へつづく)

| | Comments (0)

April 02, 2009

楽しいばかりでなく厳しいも遺伝子のスイッチをONにする

最近は「楽しいこと」「嬉しいこと」ばかりがいいとされ、「困難に耐える」とか「刻苦勉励」とかそういうものは流行らないようだ。たしかに、かつての日本では「忍耐」「努力」「試練」「苦労」・・・といった「巨人の星」ばりの厳しさばかりに比重が置かれ、「楽しい」「おもしろい」「感動」・・・といったことはないがしろにされてきた。その反動であるかもしれないが、そればかりでいいのだろうかとよぎることがある。厳しさ、苦しみを乗り越えてこそ大きな喜び、感動がもたらされるということもある。

その点、遺伝子の権威、村上和雄教授はバランスがとれているところが共感がもてる。到知2007年6月号、千日回峰行を果たされた塩沼亮潤住職との対談より、村上教授の言葉を紹介します。

私は「心を変えたら遺伝子の働きが変わるか」という研究をやっていますが、人間の遺伝子というのは、働いているのは全体の5パーセントだけで、あとの九十五パーセントは眠っているんですね。楽しいことや嬉しいこと、笑いといったものが眠った遺伝子のスイッチをオンにすることはこれまでの研究である程度分かってきましたが、私は厳しいことでもスイッチはオンになるような気がします。

(中略)

塩沼さんのような凄まじい行とまではいきませんが、研究者にもいろいろな困難があったり、競争があったりします。自分でも不思議に思うような力を出せる時というのは、一つにはそういう厳しい状況に追い込まれた時だったように思いますね。

 ぼくなんかでも、仕事をぎりぎりまで追い詰められて、思わぬアイデアが出たり、いい結果に行き着いた経験がある。さらに、村上教授は利他の心が大事だという。

 それから利他の心が芽生えた時。最初は「何かを突きとめたい」とか「世界に先駆けてやってやる」という研究者の夢というか、野望で始めるんですよ。でもいつしか「この研究を成功させたら、高血圧で苦しんでいる人たちに喜んでもらえるかもしれない」とか、そういう利他の気持ちに変わってきて、その時にものすごい力を出せたと同時に、サムシング・グレート(人智を超えた偉大な存在)を感じました。

 だから今日の日本のように暖衣飽食、自分が好きなだけ食べて好きなだけ寝るという環境は、遺伝子のスイッチが入らないのではないかと考えています。私はぜひそれを証明してみたいと思っているんです。(前掲の雑誌『到知』より)

「世のため人のためにあらゆる困難に耐え、刻苦勉励して志を遂げる」という昔からの日本人の生き方も、村上教授の理論からすると、遺伝子のスイッチをONにする生き方だったのだ。

| | Comments (0)

健康とは酸化と抗酸化のバランス

酸化や還元、フリーラジカルはどうやら健康にとっては重要な概念であろうということは思うのですが、どうも自分にとってわかりずらく、理解できていないです。アンドルー・ワイル博士の著作『ヘルシーエイジング』で、それらについてわかりやすいと思われる記述をみつけたので、自分の理解のためにもここに書き写します。

                                       

酸素は生き物を腐食させ、毒性を与える。一方、われわれは燃料を燃やしてエネルギーを得ている。つまり、われわれは呼吸によって空気中の酸素を代謝プロセスにとり入れ、消化した食物をその酸素と結合させて燃やしているわけだが、そのプロセスから、放射能に劣らず有害で危険きわまりない活性酸素種(ROS)がつくりだされている。その酸素種には強力な酸化因子とフリーラジカルがふくまれ、それらが細胞構造に破壊的な連鎖反応を生じさせる。そのうえ、われわれは環境からくるさまざまなフリーラジカルにもさらされている。

 人体は、それらの危険因子から身をまもるために、さまざまな抗酸化防御システムを備えている。(中略)

 われわれの健康状態は、酸化ストレスと抗酸化防御とのあいだのバランスに依存している。老化現象および老年病の発病は、DNA・蛋白質・細胞膜の小さな欠損が時間の経過とともに蓄積して、抗酸化防御力が酸化ストレスに対処できなくなったことを意味している。その観点からみれば、「老化」と「長寿」はおなじ意味でなくなる。抗酸化防御力がつよければ、病気をせずに長生きすることは可能になるのだ

 長く健康を享受し、ぽっくりと逝く一〇〇歳以上の長寿者は、間違いなくそのケースに相当する。(後略)    (※傍線は私-筆者がつけました)

                                (おわり)

| | Comments (0)

« March 2009 | Main | May 2009 »