殺すぞと脅されても筆(ペン)を曲げないかったであろう男
今、世の中には御用学者、御用評論家がいて暗躍をしているようです。彼らのせいで日本がどれだけ悪くなっているか表立ってみえる者ばかりではないだろうだけに、計り知れないものがあります。
明治の文人、徳富蘇峰も結局は、時の権力者にこびへつらった文化人の一人であったといっても過言ではないようです。
徳富蘇峰は時の権力者、山縣有朋の伝記を書き、豪華な別荘を9つももち、金に汚かった山縣に対して「極めて質実に、極めて謹厳なる、武人的生活」とオベンチャラをいっています。それに対して、伝記作家、小島直記はこう書いています。
文章には、レトリックというものがあります。内容を強調し、あるいは美化するためのテクニックです。中国ではこれを「舞文曲筆」といいました。しかし、蘇峰のこの文章は、このレトリックの一種ということはできません。なぜならば事実を歪曲し、虚偽を読者に伝えようとしているからです。端的にいって、これが蘇峰の権門に対する媚態、お世辞なのです。三宅雪嶺ならば、殺すぞ、と脅されてもしなかったことなのです。
ここに、同じく文章に志したとはいっても、明らかな落差、相違を見ることができます。
「『嶺』と『峰』とどちらがいいか?」
と聞かれれば、
「甲乙なし」
と答えるほかはないでしょう。しかし、それが雅号に使われた場合、区別ができる。
「『雪嶺』よし、『蘇峰』好まず」
両文人を別ける座標はただ一つ、「権力」にどう対処したか、筆(ペン)の権威を権力の上においたかどうか、ということであります。
自分は「殺すぞ」と脅されても筆を曲げずにいられるか。そういうものを持っているか。どんな実績を上げるよりも、そこがあるかないかが、文章に志すものを一流であるか二流であるか別けるところなのでしょう。
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