自分を知るために謙虚になりたい
今日、新聞のある本の宣伝欄に「『できる』人のノウハウを盗んではいけない。」との言葉があった。本の中ではどう解説されているのかわからないが、心に引っ掛かった。
成功本でもなんでも、「できる人」が書いていて「それを真似すれば自分でも成功できる」と思わせるところに、売れるためのテクニックがある。自分を知らずに、闇雲に真似たからといって、同じように幸福な人生を歩めるものではない。しかし、自分を掴むのが非常に難しい。
近頃は「謙虚」ということを自分に言い聞かせている。「謙虚な気持ち」でいることは人間関係を円滑にするためだけではなくて、ただ一人でいるときにでも事がうまく運ぶような気がするからだ。たとえば、自分の心や体を鍛えるために何かをするのでも、しばらく続けていると「俺はこれだけ続けられるんだ。どうだ、たいしたものだろう」という驕りがどこかででてきやすい。そういう気持ちが出てきてしまうと長く続けられなくなる。驕りが、自分の力というものを正確に見ずに、「もっとできるだろう」とか「この俺にできないわけはない」と一気により大変なことを始めてしまうからだ。するといきなり、続かなくなってしまう。
逆に「自分はろくなものではない」と謙虚な気持ちでいると、無理なことはしないから長続きできる。長く続けているから少しずつ少しずつレベルを上げていくことができる。謙虚な気持ちでいると等身大の自分を見つめることができるのだ。
ただ、驕っている心は論外だが、そのままの自分を見つめようと思っても、どうしても自分のことだからひいき目に見てしまう。だから、「自分はろくでもない」というくらいの見方を意識していた方が、結果的には自分というものをより正確に把握できやすそうだ。私小説を書くときには、ありのままの自分を書こうとするよりも、ちょっと卑下するくらいの視線で書いた方がいいものが書けるそうだ。
こうして自分をより正確に見つめられるようになれば、成功者の成功本をまるごと真似ようとするような愚は少なくともなくなるだろう。
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