言葉はドジョウ?
言葉が出てきた時に
すぐにとどめておかないと
どこかに逃げてしまう。
さっきも画面を新規投稿に
切り替える間にどこかへ去(い)ってしまった。
言葉はいきものだとはいわないけれど、
まるで、スルスルっと
両手のひらから逃げていく、
ドジョウやウナギのようだ。
言葉が出てきた時に
すぐにとどめておかないと
どこかに逃げてしまう。
さっきも画面を新規投稿に
切り替える間にどこかへ去(い)ってしまった。
言葉はいきものだとはいわないけれど、
まるで、スルスルっと
両手のひらから逃げていく、
ドジョウやウナギのようだ。
怨むべく・怒るべく・弁ずべく・訴ふべく・喜ぶべく・驚くべきの際にあたりて、その氣はなはだ平らかなるは、これは是れ多大の涵養なり。 『呻吟語』存心より
「怨むべきとき、怒るべきとき、弁解すべきとき、訴えるべきとき、喜ぶべきとき、驚くべきときにあたって、気持ちを平静に保とうとするのは、これはこれで大いなる修養になる。」(筆者訳-拙い訳文で失礼。あくまでも本文-読み下し文を読むための参考程度にしてください)
これは、小林正観さんの主張と似ています。
何かあるとすぐ落ち込む人の共通点は、ほめられるとすぐに舞い上がってしまうことだそうです。
どんなときでも、激さず、騒がず、怒らずにいられるようになりたいものです。
自然育児&子育てショップ・いのちのちから
妻の田舎の鹿児島で法事があり、
あわせて、福岡にも足を伸ばして、22日より1週間ほど、
頭山満、西郷隆盛の足跡をたどってきます。
彼らが精読した『洗心洞箚記』(大塩平八郎著)を
片手に。
できれば形(本)にしたいと思っています。
はっきりいって、どうでもいいと
割り切ってしまえば、世の中、
どうでもいいことが多いんだ。
死さえも、どうでもいい、苦痛さえも
どうでもいいと割り切れれれば、
世の中、怖いものがなくなり、
だいぶ楽になれそうだ。
不平・不満・愚痴・・・を
言うまいとしていても、
どうしても言ってしまう。
ああ、なんて自分て情けないのだろう。
・・・・と、自分に対して、
また、不平・不満・愚痴を言っている。
虫はがんばっているだろうか。
とく晩夏のセミは、息絶え絶えに
がんばっているように
人間に聞こえるかもしれないが、
ただ、ひたすら、たんたんと
鳴いているだけではないか。
自分の力を出し切ろうとか、
そんなことは考えていないだろう。
獲物を獲る動物たちだって、
がんばるというよりも、ただ腹減ったから
ひたすら、獲っているだけではないか。
腹すかせている子どもたちのために
たんたんと獲物を追いかけている。
少なくともがんばろうなんて意識は
ないだろう。
おいかけて駄目だったら、
次の獲物を狙うだろう。
どこまでも、獲れるまで追う
ということはないだろう。
疲れたら休みであろう。
(つづく)
「がんばる」とは
「我を張る」からきている。
「我を張る」よりも
「他を張る」=「他を押し出す」方が
これからの時代には大切なような気がする。
「他を押し出す」には
ただ「がんばって」いてもできないだろう。
(つづく)
ただ、いえることは
なににがんばるか?
ということではないか。
なににがんばることが
価値のあることなのか。
なんのために
がんばるのか?
それをこれまでの
時代は多くの人が考えて
こなかったのではないか。
(つづく)
はたして、
がんばるってなんだろう。
がんばった結果、
ぼくらは何を人生にもたらされたのだろう。
富、名声、地位、今の立場?
そのどれも得ていない人は、
今までがんばってきていないから?
がんばりがたりないから?
(つづく)
酒は少々、タバコもやらない
つまらない男であるが、
それらをやらずに、ここまで
来れたのも病のお蔭だと
感謝している。
喘息がなければ、必ずタバコを
やっていたろうし、
始めたらおそらく辞められなかったであろう。
酒も、多発性のう胞腎であるからこそ、
セーブできている。
つい先だっても、久方にそこそこ
飲んだら、だるくてしょうがなかった。
のう胞腎のせいかわからないか、
もしかしたらそうかもしれないという
意識があるから、
自粛しようという意識が普通異常に
働く。
感謝感謝である。
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