体調の悪い時は“一点”にしぼるチャンス
ここのところ体調がよくない。
(10月末現在)
ゼンソクは不本意ながらクスリで
おさえているのだが、
コントロールがききにくくなっている。
発作が少しでも起きていると
出来ることが制限されるのが
残念である・・・。
しかし、ふと思い返してみれば、
体調が悪い時は、
「余計なことを捨て、
自分にとって何が肝腎であるかを
考える」チャンスである。
体調のいいときは、
3つできたことでも
1つしかできない。
だからこそ
1つしかできないそのことで
何をやるべきか、
無理しないでできることを
考えることができる。
そこから導き出された
「これだけしかできないこと」
そして
「これだけはどうしても
やっておきたいこと」の中に、
自分にとって
一番大切な何かが隠されている
かもしれない。
少し跳ぶが、
正岡子規はそもそも政治を志しており、
日清戦争には、従軍記者として
活躍するぐらいの
才能あふれた
精力のある
人間だったという。
その帰り道に、喀血し
結核に気づき、
その後、
病床でも可能な
俳句の道に向かうことになる。
精力家だった子規は、
もしも病でなかったら、
俳句という一点に
人生を集中させることは
なかったのではないか。
政治や文学、
さまざまな方向に
エネルギーが分散され、
彼の俳句が後世に残したほどの
業績は上げられなかったかもしれない。
尊敬する哲学者・教育者、森信三先生の言葉に
こういうものがある。
人間の生き方に何処かすさまじい趣が
なくてはならぬ。
一点に凝集して、
まるで目つぶしでも喰らわすような
趣がなくてはならぬ。
人を教育するよりも、
まず自分自身が、
この二度とない人生を
如何に生きるかが先決問題で、
教育というのは、
いわばそのおこぼれに過ぎない。
不尽叢書『森信三先生 一日一言』
正岡子規はまさに、
「一点に凝集して目つぶしを喰らわす」
ような生き方をした男だった。
才能ある正岡子規のような
人間ばかりではない。
凡庸な人間だからこそ
捨てるべきものは捨て、
大切なことだけに
持てる力を発揮する
ことは、人生のどこかで
必ず選択すべきときがくるであろう。
体調が悪い、
病である、・・・ときは、
人生にとって
不必要なもの捨て、
大切な一点へと向かっていく
分岐点であると考え、
自分を見つめたいものである。
いのちのちから
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