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October 30, 2009

志少しも退かず~沢庵(6)

紀野一義『私の歎異抄』には

親鸞が「ただ念仏した」ことをあげて、

(前略)

要するに「ただ称える」のである。

誰かのためにするとか、人類のためにするとか、

そういうめんどうくさいものではない。

ただ親切にする。

ただ愛する。

風が吹くようにただただ行くのである。

もっとも、このただ称えるというのは、

うしろにもう1つある。

ただやりさえすればいいというのではない。

やらずにおれぬということがかくれている。

これが「ただ」の恐ろしさである。

背後からその者に行なわしめるものがいる。

促すものといってもよい。

新設にせずにはおれないから親切にする。

愛さずにはおれないから愛する。

どういうことがあっても止まらぬ力、

誰が止めても止まらぬ力、

どんなになってもせずにはおれない力が、

背後からいやおうなしに迫ってくる。

その時に「ただ」という世界が始まる。

(後略)   (つづく)

いのちのちから

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