志少しも退かず~沢庵(7)
志に向かわざるを得ないから向かう。
夢を追いかけざるを得ないから追いかける。
それが、ほんとうの志や夢であろう。
そして、その背後には
人間にはとうていはかり知ることができない
大きな力が働いているのだ。
今、若い子たち、子どもたちが
夢を持たなければならない、
目標を持たなければならないと
追い立てられているということを聞いた。
夢が自分の力でもてることができるものではない
ということを知ったなら、
志、夢を求めてあてもなくさまようのは、
完全にムダといわないが、
かなりの浪費であろう。
志、夢がなくて探すのに、有効な場合は、
志や夢をさがさざるを得ない、
いても立ってもいられない、
夢をさがすという夢が心の内に
植えつけられたときのみではないかと思う。
もし志や夢が今、ないというならば、
目の前にあることに感謝してこなしていくべき
なのだろう。
もしも、
背後に大いなるもの(神といっても仏といってもいい)
の働きがあるほんとうの志、夢なら
今それに向かっていくことは
「今ここ」を大切にしていることになる。
なぜならば、志や夢というものは、
自分の心の中に「今在る」ものなのだからだ。
それに向かうという事は
今を大切にしていることに他ならない。
それ以外の外部から取ってつけたような
夢、志であるならば、
それに向かうことは
今を犠牲にするということと
等しいといっても
過言ではないのではないか。
とにかく、夢を持て、
何かを目指せと、
子どもたちや若者を
追い立てるのはやめたいものだ。
(つづく)
いのちのちから
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