August 05, 2009
December 30, 2008
亡くなった飯島愛さんの生活
飯島愛さんが亡くなられたのは残念だった。
テレビの画面で見るばかりだったが、
直観力がするどく、どぎついことを
ズバリというけれど、
人生のどん底を経験しているせいか、
どこかやさしさが感じられた。
自分と同じく避けようもない
人生の起伏に翻弄されている
人に対して、
心底思いやりをもって接することが
できた人ではなかったか。
実際、共演者いわく、
困っている人をみると、
見てみぬふりができず、
手を差しのべていたらしい。
ここのところ
精神疾患にかかっていたようだが、
以前見たある番組で、
飯島愛さんの日頃の生活ぶりを
おもしろおかしく紹介していたが、
それを思い出す限りでは
今回のような結果に終わったのも
必然のように思える。
仕事から、うちに帰ると
ソファーでテレビをみている、
腹がすくと、
コンビニでパンのようなものを
買ってくる。
小食である。
ほんとうにこれで栄養になるのか
というような、
しかも添加物がたっぷり
入っているだろうものを
少しだけ食べて、
またテレビを見て、
着替えもせずに、
いつのまにか、テレビも電気も
つけっぱなしで、
ふとんもかけずに
ソファーで寝てしまう。
そして、起きて、
仕事に出る・・・
日々その繰り返し。
そんな生活ぶりだったように覚えている。
一言でいえば、
めちゃくちゃである。
スタジオでは
皆、笑っていたが、
彼女の生活を評した
医師が、このままでは
体を壊してしまう、
早死にしてしまう、
とコメントをしていた。
その記憶が正しかったとしたら、
医師の忠告どおりに
なってしまったわけである。
精神疾患だったというが、
うつなどの精神病も
身体から来ている場合も
多いだろう。
現代人の多くが肉体的な
欠陥を抱えているからこそ、
うつにかかる人が
激増しているのではないか。
心に欠陥があった、
さびしかったからこそ、
投げやりな生活に
なってしまったということも
考えられるが、
それにしても、
もうちょっと生活を規制できていれば、
身体の状態もよく
心の問題ももっと深刻ではなく
今回のような重大な結果に
いたらずに済んだのではないかと
しごく残念である。
非行に走り、体を売り、
AVに出演して、
その後、
売れっ子タレントになる・・・。
誰もが真似のできない
波乱の人生だったのだが、
誰もが自分の人生に
照らし合わせてしまうような
稀有なキャラクターの
持主だった。
December 26, 2008
宇津井健さんの「径(こみち)に由らない」生き方
12月21日の朝日新聞beに
宇津井健さんが出ている。
ずっと前、亡くなった伯母が
あるドラマを見て、
「この役は宇津井健らしくない」と
嘆いていた。
ファンだったのだ。
あるイメージ以外は
そんなに上手ではない。
あまり器用な役者さんじゃないなと
見てきた。
しばらくテレビなどで
見かけなかったが、
ここに来て、脚光を浴びている。
Beにはこうある。
若い頃から「まじめで誠実な
家族思い」というイメージで
見られることが多かった。
若い役者ならそれを壊そうと
するところだが、
この人は違う。
「じゃあ、役柄に合わせて
私生活も律し、
その役柄を徹底的に
掘り下げようと」
節制と自己管理は徹底している。
腹筋を毎日300回以上、
撮影の合間にも機材の
砂袋で鍛錬。
自宅の「居場所」は
台本を広げたデスクの前。
ファンから「宇津井健らしくない」
と嘆かれるほどに、
役者、宇津井健を見る人々の
イメージは出来上がっていた
のだろう。
それなら、
「その役柄を徹底的に
掘り下げよう」と
器用にそして
中途半端にさまざまな
役をこなすよりも、
1つのイメージに徹する
道を選ぶ方が
自分には合っていると
思われたのではないか。
そして、その方向で
日々、努力された。
今、脚光を浴びているのも
そうした地道な生き方の
賜物であろう。
ありとあらゆる
役をこなすばかりが
役者の王道ではない。
このような歩み方も
あるのだ。
これは役者だけではなく
他の者にもあてはまる
ことではないか。
記事を読んで
学ばせていただいた。
以前の記事で紹介した
『論語』のことば、
「行(ゆ)くに径(こみち)に由(よ)らず」
宇津井健さんの生き方は
まさにそれであろう。
ここに
諸橋轍次による
「行くに径に由らず」の
名訳を紹介します。
大道をまっすぐに進むがよい。
それは、よしまわりみちには見えても、
平らで正しい。
これに反し、近道とも見え、
変化の魅力をもっていても、
小道はやがて行きづまりがくる。
『中国古典名言辞典』より
December 06, 2008
『レッドクリフ』を観て
本日、ジョン・ウー監督の 『レッドクリフ』を劇場で鑑賞した。 感じたこと・・・ 「う~~~」(ジョン・ウーのウーではなくて ただうなっているだけ) どこぞの邦画のように 作者をうらみたくなるほどの ひどい映画ではないが、 かといって、 ただただ感動したと手放しで ほめたくなるような映画でもない。 「三国志」への焦点の当て方が 自分の好みにあっていないということもある。 大昔のことではあるが、 戦争の映画だけに 戦いのシーンが長かったが、 それが気に食わなかったということもある。
この映画で一番よかったのは なにかとあえて聞かれれば、 音楽と答えるだろう。 鑑賞後、パンフレットを見て 知ったのだが 担当したのは、日本人である。 各シーンで流れる多くの曲が 映像によくはまっていた。 ときに映像を先導していた。 人情の機微も綿密に描かれていた。 とうぜんなのだろうが、 中国人も日本人もその点では 変わりないのだ。 在野の大学者である小室直樹氏には 日本と中国の違いに関する本が あって、そこには、日本人と 中国人では『論語』のとらえ方でさえ 違うという内容もあるそうだ。 こうした情報をネット等で 得ていたが故に、映画の中に 中国人と日本人の共通項を見つける ことは、ちょっとした快感であった。 グローバル化の波が 双方に押し寄せ、他国との違い ‐文化を洗い流してしまったのかもしれない。 そもそも近年、とくにビジネスに 携わる人間の顔を見ていると、 日本人も中国人も韓国人も 母国語を話さないかぎり、区別をつけるのは 難しい。 それだけ、顔やかもし出す雰囲気が 似てきたということでもあろう。 以前、といってもほんの二十年、三十年前 だろうが、 あの人は韓国人っぽい、 こちらの人は中国人っぽい、 すくなくとも、日本人ではなさそうだ くらいは分かった。 今では見た目だけではさっぱり分からない。 そうだ。 ここまで書いてきて気づいたのだが、 そういう意味で『レッドクリフ』には 民族の“臭み”が薄い。 その点が自分には物足りなかったの かもしれない。 「三国志」を映画で見るならば、 どうせなら漢民族の体臭がわき出てくる ような臭いものを見たかった。 ここでいう「臭い」とは「不快」という 意味ではない。 「ここは、こんなふうにするわけないだろう」 と怒りたくなるような、 日本人である自分にはどうにも理解できない 異文化間のギャップと歴史を スクリーンを通して垣間見させてくれるような ものが見たかった。 しかし、 考えてみれば ジョン・ウー監督のよく知られている作品は 『M:I-2(ミッション:インポッシブル2)』である。 ハリウッドで活躍する監督に 民族と文化の臭いが沸き立つ映画を 求める方が間違っている。 そんなもの見たくない という人がほとんどであろう。 つまり今日観た『レッドクリフ』を通して 自分の趣味を述べたまでのことである。
August 13, 2008
押井守監督『スカイ・クロラ』と“文体”
押井守監督の『スカイ・クロラ』
を見て気づいたのは、
自分は押井氏の“文体”が無性に好きだということだ。
かつて『攻殻機動隊』に夢中になったのもそこだった。
映画の“文体”とは、1カット1カットの絵(画像ときに
音声)にあたるのだろう。
少なくとも自分が映像メディアにおいて
小説などの文章における
“文体”にあたるものととらえているのはそれである。
遠藤周作がどこかで書いていたが、
映画の最初のカットを見れば、それがいい映画であるか、
よくないものであるかわかるというのは、
“文体”がいいか悪いか、好きか嫌いかということになる
だろう。ぼくも、映画館で最初のカットをみて、
さえないものだと、その先2時間の映画なら2時間を
無駄に過ごさなければならないのかと、
拷問に遭遇するような気分になるようなことがある。
そういうときは、その苦しみを緩和するために、
きまって居眠りをしてしまう。
今朝の朝日新聞で、沢木耕太郎氏が、
「押井守監督のアニメ版『スカイ・クロラ』は、
森博嗣の原作をほぼ忠実に映像化していると言える」
と書いている。
さっそく書店で原作の小説を立ち読みしてみたが、
いい悪いではなく、その“文体”は自分の好みには
合わなかった。
ぼくが『スカイ・クロラ』という物語に入れたのは
押井監督の“文体”であればこそなのだ。
小説『スカイ・クロラ』が置かれていたすぐそばの
書棚に、サミュエル・スマイルズ著、中村正直訳の
『西国立志伝』があった。これは以前より
読みたいと思っている本。
明治時代、福沢諭吉の『学問のすすめ』と並んで、
ベストセラーとなり、多くの青年たちを
奮い立たせたという啓蒙書である。
同じくサミュエル・スマイルズの
“Self-Help,with Illus-trations of Character and Conduct”
を訳したもので三笠書房から『自助論』(竹内均訳)が出ているが
これも好みの問題であるが、
“文体”において、『自助論』にはあまり魅力を感じず、
『西国立志編』にどうしても惹かれてしまう。
立ち読みで、『西国立志編』をつまみ読みしただけで、
発奮させられた。『自助論』ではそこまでのインパクトは
与えられない。
『自助論』の文章もさすが竹内均氏による翻訳で、
明快で歯切れがいい文章だが、
この2つの“文体”の何がちがうのかといと、
もっとも大きな違いというのは、
『西国立志編』が文語体で、
『自助論』が現代文で訳されているという点にある。
自分はどうやら、日本語の文語体
というものに無性に惹かれているようだ。
幸田露伴の『五重塔』を声を出して通読したときに、
目覚めたのだろうか。
もちろん、その文語体による翻訳も中村正直の文章
だからこそ、厚みがあるのだろう。
(中村正直は、昌平坂学問所で佐藤一斎より
儒教を学んでいる。
佐藤一斎は江戸時代の漢学者の中で
もっとも文章がうまいといわれたそうだ。
中村正直の文章は、その影響も
受けているのだろうか)
ここで、押井監督の『スカイ・クロラ』に戻る。
ぼくは、先日、子供を連れて家族で、
流れるプールに行ったのだが、
仰向けにプカプカ流れながら、
空と雲を見ていた。
そのとき思い出したのが、
『スカイ・クロラ』だった。
この映画には、
戦闘機のパイロットの物語であるだけに、
雲と空のシーンがたくさん出てくる。
冒頭のロールテロップの背景にある映像が、
操縦席目線の空と雲だった。
もうその“文体”からして、ぼくは
映画に入り込んでいたのだったが、
懐かしさを感じ、どこかで見た風景と
そっくりだなと思ったのは、
おそらく、子どもの頃、流れるプールなどの
水面や海の上で、仰向けになって眺めた
風景を思い出したのだ。
それが、今、大人になって
子供と入ったプールで、
プカプカ浮きながら空を眺めて
わかったのだ。
でも、じつは
子供の頃、水面で仰向けに
眺めた空と雲をリアルに感じたのは、
先日行った流れるプールに浮かんだ
ときではなく、
映画『スカイ・クロラ』のそのカットを
見たときだった。
現実よりも、リアルさを感じさせる映像・・・。
つまり現実そのものではなく、
自分の記憶の中の風景をよりリアルに
思い出させてくれたのだ。
ぼくは子供の頃、水面で雲と空をただ
眺めていたのではなく、
空を飛んでいたのかもしれない。
鳥や飛行機のように・・・。
現実よりも映画の方に、
しかもアニメ(CG)に、よりリアルさを感じる。
それは多分にぼくの主観が入っての
ことだろうが、
押井監督の“文体”の凄さにも
通じていることであろう。
April 22, 2008
脳で考えるのではなく台本上で考えるのだ
芝居の台本も、テレビの台本も、
シナリオも、小説も、
本質的には変わりはないのだと
教わってきた。
やはり現在でもそう思うのだが、
そこから離れてむしろ、
違いを前より感じている。
一番の違いは、芝居の台本も、
テレビの台本も、シナリオも、
小説も、脳やハートで
考えるというよりも、
芝居の台本の上で、
テレビの台本の上で、
シナリオの上で、小説の上で
考えるということだ。
よく芝居や映像を思い浮かべて…
ということが言われ、
そこに携わるものにとって、
それはあたりまえのことだが、
やはり芝居なら芝居の台本の上で、
テレビならテレビの台本の上で、
・・・・、と
書く人は考えていることには
違いはないのだ。
脳もハートもその台本上にできる。
別の表現をすれば、
芝居なら芝居のことばで、
テレビのバラエティー番組なら
バラエティー番組のことばで、
・・・・考えるのだ。
そして、そのことばは、
どこか離れたところにあるのではなく
台本上に、原稿用紙上に、
パソコン画面上にあると考えるのが妥当だ。
台本から離れたことばなど、
演出ではなく台本をかくものにとって、
芝居でもテレビでも、
シナリオでもありえないのだから。
ただ、この考えはテレビからも、
シナリオからも離れ、
戯曲も小説も書かない者の
たわごとに過ぎないかもしれないが。
December 15, 2006
現実を忘れさせる笑いと現実を見せる笑い
今、お笑いブームらしい。
らしいというのも、
自分が、今、お笑い番組を
あまり見ていないからだ。
このブームの前のブーム(ボキャブラ天国の前後?)は、
仕事と直結していたので、よく見ていた。
若手芸人のライブにも行ったりした。
今は、ちっとも見ていないから、
事情はよくわからない。
どうやら、
優秀な奴らも出てきているようだ。
私の見解だが、
笑いには、2種類ある。
現実を忘れさせてくれる笑いと、
現実を見せてくれる笑い。
ここのところの笑いに多いのは、
現実を忘れさせてくれる笑いなのではないか。
ただ、この残酷で理不尽で悲惨な世の中では、
現実を忘れさせてくれるこの笑いというものも
欠かせないものだろう。
でも、そういう世の中のみんなが見て見ぬふりを
しているものを、さらけ出すという笑いもある。
ぼくは、どっちかというとそっちが好き。
たとえば、
ツービート(つまり、ビートたけし)の
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という
ギャグなんて、日本人の“付和雷同”さを
あぶり出した、まさに名作だと思う。
そんなことを考えていたら、朝日新聞のコラム記事
「浅草の灯よ その1 ビートたけし」に、
こんなことが出ていた。
フランス座を離れ、近くの松竹演芸場に移った後、
たけしはツービートとしてブレークした。世間の
常識にある、まやかしを過激な言葉で暴いた。
「インチキくさい、『暴力追放の町、
町をきれいにしましょう』なんていうのを
ちゃかしたんですよ」(ビートたけし談)
そういった部分が、映画監督となり
その作品が、ヨーロッパなどで「クール」と
評価されるようになったことにも
つながっているのではないかと、
ついつい結び付けたくなってしまう。
(私は、映画作品はまだちゃんと見たことはないが)
今、いじめによる自殺があちこちの学校で
起こっているが、つい最近までの文部科学省への
各学校(教育委員会?)からの報告では、
いじめ0、0、0、・・・ゼロの数字ばかりが
並んでいたというではないか。
まあ、そんな“まやかし”は世間じゃ当たり前で、
だいたい、また学校のことになってしまうが、
どこの学校も、今年の目標などの標語をたいていは、
「思いやりのある子」「うそをつかない」・・・
などとしているが、そういうのを見ていると、
無性に腹が立ってくる。
ほんとうは守る気がないに、体裁だけ整えるというのは
つまり、うそをついているということであり、
それを子どもに教えているのと同じことではないか。
だいたい、もっといじめが多いのは大人の世界
である。それが子どもに反映しているだけ。
それを棚上げにしておいて、子どものいじめだけを
問題にしているというのも、
意図的に見て見ぬふりをしているように
思えて仕方がない。
子どもがどんどん自殺し、
マスコミで騒がれるようになったからこそ、
子どものいじめを放っておけなくなったのだ。
それまでは、0という数字が示しているように、
見てみぬふりをしていた。
笑いから、だいぶ脱線してしまったが、
ようするに、みんなが見て見ぬふりをして、
いい気になっているものを、あぶりだす。
しかも、ストレートに訴えると、
暗く聞くに堪えないことになるので、
笑い飛ばすことによって、
現実がいっそう見えやすくなる。
そんな大切な役目も“笑い”は担っている
ということを自覚してほしい。
ただ、観客や視聴者は
笑っていやな現実を忘れようというだけではなく、
そういう役目も
笑いを作り出す人たちに要求してもらいたいものだ。
April 25, 2005
ポール牧さんのご冥福をお祈りします
妻はいなくなってしまった・・・
おれは今日もうちにいる・・・
※「人が始まる時に人は自ら死を選ぶ」の記事を書いたのは4月20日だった。その翌々日4月22日の早朝、ポールさんは自ら死を選んだ。
ポールさんとは仕事をしたことはなかった。しかし、かつて結婚していたという女性(2人目か3人目の奥さん。確かブラジル出身でクラブの経営をやっていた著名な女性)にインタビューをしたことはあった。だから、意識はしていた。
その当時、「ゆびパッチン」で一世を風靡していたが、それだけでは今後、芸人としてきついだろうとは思っていた。しかし、昔のポールさんをぼくは知らないが、浮き沈みの激しい芸能界を生き延びてきた本格的な芸人だし、もし「ゆびパッチン」が売れなくなっても、きっとまた新しいギャグでも作って芸能界をたくましく生き延びていかれるのだろうと思っていた。
※ポール牧さんは10年ほど前からうつ病に罹っていたという。うつ病は多くは真面目な人がなる。一方、ポールさんは「芸人は家庭をかえりみない」というのが、ポリシーだったそうだ。実際、子どもに恨まれるほどにまったく家庭をかえりみなかったようだ。その生き方は一見、破天荒で型破りで“真面目”の正反対に見える。しかし、特に昔の芸人にとっては、「家庭をかえりみずに芸に打ち込む」ことが、理想であり、大真面目な姿なのである。本当は、ポールさんも正直、ごく普通の家庭を持ちたい、無理せずに芸人でない、あるがままの自分としても生きたいと思ったこともあったのではないか・・・・(実際、亡くなられる前に、お孫さんと会いたいとお子さんに申し出たこともあったようだ)。
お坊さんとなってからのセクハラ事件も、そんな芸人としての真面目さから抜け切れなくて起こしてしまったことではないか(これは、あくまでぼくの推測であるが・・・)。仏の道に生きることと、芸の道に生きることの真面目さはまったく違うのだ。そして、ポールさんは、やはりあくまで芸人であったのだ。
※とにかく、私生活を犠牲にしてまで、茶の間のわれわれを笑わせてくれたポール牧さんに感謝したい。そして、ご冥福をお祈りしたい。
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