June 09, 2009

「内なる声」をとりだすこと

全盲のピアニスト辻井伸行さんが、7日、アメリカのバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝しました。ぜひこんどCD等で演奏を聴いてみたいものです。

ところで、トルコのピアニスト、作曲家のファジル・サイさんの以下のおことばに共感します。ぼくは音楽にくわしいわけではありませんが、これはあらゆる表現にいえることではないでしょうか。(以下、朝日新聞「Globe」より)

クラシック音楽の演奏から個性がなくなっている。最近では、本来、即興的に独奏される協奏曲のカデンツァも、演奏全体の解釈も、他人まかせになっている。これは間違っている。クラシックのピアニストがいくら技巧的に演奏しても、それだけではまったく興味を感じない。

 ハイドンのピアノ曲は、演奏技術的にはとても簡単で、8歳の子どもでも、何曲かは演奏できる。しかし、内面から演奏するには、とてもたくさんの人生の経験、感情といったものがないと難しい。3、4分で映画のサウンドトラックのように「物語」をつくらないといけない。

 自らの「内なる声」を取り出し、楽器に伝えるというのが、作曲でも演奏でも、音楽のとるべき方向なのだ。クラシックのピアニストの大半は今日、そうした方向性をもっていない。ジャズピアニストのキース・ジャレットを例に出せば、彼のピアノの音にどれだけの感情がこもっていることか。まるで「歌っている」ようだ。音楽の内面が演奏されているから、彼のピアノは人間の声のように聞こえる。

(中略)

 作曲とは「わき出るものを取り出す」作業だ。技術的発展がエモーション(感情)の高まりを伴わないならば、それは音楽ではないと思う。

 「内面から演奏するには、とてもたくさんの人生の経験、感情といったものがないと難しい」。-「内面からの演奏」で思い出すのは、フジ子・ヘミングです。彼女の引くリストやショパンには数々のドラマがあるように思います。たしかフジ子は以前、テレビ番組で「少しくらい鍵盤を間違えても気にしない」と言っていました。「わき出るもの」の方が大事なのでしょう。

 ところで、鏡島元隆『道元禅師語録』には、こんな言葉があります。

人人(にんにん)夜光(やこう)の珠(たま)を握り、箇箇(ここ)荊山(けいざん)の玉を抱く。若(いか)んが回光返照(えこうへんしょう)せずして、甘んじて宝を懐いて邦(くに)に迷うことをせん。

〔訳〕人びとすべては、夜光の珠にも比すべき明珠(仏性)を本来抱いているのであり、それぞれは荊山の玉にもたとえるべき宝珠(仏性)を本来蔵しているのである。それなのにどうして、回光返照してこれを覚らないで、せっかくの宝を抱きながら、他国に迷うているのであるか。

(※一部、筆者が書き換えました)

    

     回光返照‐外に向かう心を翻して内なる自己を反省すること。

 音楽について無理矢理につなげれば、さまざまな曲や音にとらわれ、惑うことなく、回光返照して、明珠・宝珠=仏性を覚り、表現するということでしょうか。

 これは言葉での表現も同じことだと思います。今はパソコンによっていくらでも言葉を取り出せます。しかし、そこに「わき出るもの」-「内なる声」がなければ、ただの文字の羅列に過ぎませn。

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June 07, 2009

『時代おくれ』の「深沈厚重」

                                                                     

深沈厚重なるは是れ第一等の資質

公田連太郎はその訳注した『呻吟語』にこう書いている。

                                                                              

呂新吾先生が深沈厚重なる資質を最も喜ぶこと、以て観るべし。深く味ふうべきなり。是れ呻吟語全巻を貫く思想なり。

                                                                              

河島英五の『時代おくれ』を聞けばきくほど、この歌は“深沈厚重”の人をうたっているように魂に沁み込んでくる。

そういえば、河島英五は歌をいつも呻くように吟じているなあ。

                                                                                                                         

YouTube 河島英五「時代おくれ」

http://www.youtube.com/watch?v=ua2PjjvS0K4&feature=related

                                                                        

時代おくれ

                                                                            

作詞 阿久悠 作曲  森田公一 

唄 河島英五  昭和61年(1986)

                                                                                    

一日二杯の酒を飲み

魚は特にこだわらず

マイクが来たなら 微笑んで

十八番(おはこ)を一つ 歌うだけ

妻には涙を見せないで

子供に愚痴をきかせずに

男の嘆きはほろ酔いで

酒場の隅に置いて行く

目立たぬように はしゃがぬように

似合わぬことは 無理をせず

人の心を見つめつづける

時代おくれの男になりたい

 

不器用だけれど しらけずに

純粋だけど 野暮じゃなく

上手なお酒を飲みながら

一年一度 酔っぱらう

昔の友には やさしくて

変わらぬ友と信じこみ

あれこれ仕事もあるくせに

自分のことは後にする

ねたまぬように あせらぬように

飾った世界に流されず

好きな誰かを思いつづける

時代おくれの男になりたい

 

目立たぬように はしゃがぬように

似合わぬことは 無理をせず

人の心を見つめつづける

時代おくれの男になりたい

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May 07, 2009

竹内まりや―50代、ますます魅力・・・

NHKで竹内まりやの『人生の扉』を聞いた。

満開の桜や色づく山の紅葉を

この先いったい何度見ることになるだろう

ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ

ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ

            竹内まりや 作詞/作曲『人生の扉』より

“アラフォー”がらみで接している天海祐希は、竹内まりやのことを少女の部分と大人の部分が絶妙に溶け合っている素敵な女性といっていたが、歌にもそれが表れている。

歌声には、『september』を歌っていた頃のような弾むような魅力がいまだに失われていないが、若い頃にはもち得ない人をあたたかく包み込むような深さを感じられる。

歌う竹内まりやを見て、また『人生の扉』を聞いて、「年を取るのも悪くないな」と思えた。

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June 28, 2008

本気で愛せない

無性にこの歌が好きだ。

とくにこの一節は何度聞いても胸を

打たれる。

                                                                   

 

形のない愛だけを信じてきたあなたは、

本気で愛すること怖れてるだけ

                                                            

「本気で愛することを怖れる」、

それは「本気で愛することができない」

ということ。

恋人だけでなく、家族も、友人も、

自分も・・・

自分を取り巻くあらゆる人間と

この世界を・・・

ほんとうは、愛したくてしかたなくても。

クリスマスの歌で、

もろに季節外れですが、・・・

いつものように、

のせたくなったのでのせます。

                                                             

Midnight Flight-ひとりぼっちのクリスマスイブ-

                  浜田省吾

あの娘乗せた翼 夜空へ消えてく
空港の駐車場 もう人影もない

"
行くな"と引き止めれば 今頃二人
高速を都心へと 走っていたはず
失くしたものが あまりに大きすぎて 痛みを
感じることさえも 出来ないままさ
ひとりぼっちの クリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
ここからどこへ行こう もう何も見えない空の下

妹と暮らすつもり しばらくニューヨークで
ひとりきり 東京で もう生きていけない
逢いたい時にだけ 電話かけてきて
食事して ドライブして ベッドに入るだけ

形の無い愛だけを 信じてきたあなたは
本気で愛すること 怖れてるだけ

ひとりぼっちの クリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
二人で生きてきた 都会の灯りが遠ざかる

ポケットの中 あの娘に贈ろうとした Golden Ring
今でも 手のひらに 握りしめたまま
ひとりぼっちの クリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
もう守るものなんて見つけられない 何ひとつ

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October 30, 2007

ピュアであること

                                          

尾崎豊が歌っている・・・

画面をクリックし、

繰り返し繰り返し歌声をきく。

かわききったのどを

うるおそうとしているかのように

人差し指がマウスをおしてしまう。

かれは死ぬまで何かと戦っていた・・・

その何かとは自分じゃない、社会だったに違いない、

そう、あらためて気づいた。

彼がこの世を去り、何年たったかは知らないが、

その後の社会はあきらかにどんどん悪くなっている。

金、金、金、一色となった世界が

たえまなく戦争を引き起こし、貧困を生み、

病人をつぎからつぎへとこさえている。

ピュアすぎて傷つきやすいこころが覚醒剤に手をださせ、

すっぱだかのまま他人の庭先でたおれるという

異常な死に方を招いたのかもしれない。

かれはそれほどに弱かっただけなのか。

純なことは間違ったことなのか。

それとも、ピュアな魂がより純粋であるほど生き残れない

社会がおかしいのか。

目を見ひらけば、世界は目をおおいたくなるようなことばかり起きている。

テレビや新聞で報道されていることなんて序の口。

もっと残酷で、醜くて、劣悪な事実はかくされてしまって

人の目のつくところに浮かび上がることはめったにない。

われわれはその中に、とっぷりとつかって生きているのだ。

でも、地球には、ほんの少しだけかもしれないけれど、

これまでにないほどの美しさも生まれている。

愛、自己犠牲、真実・・・

ぼくたちは、何を守るのか、誰を守るのか、何のために生きるのかを

命がけで考えなければならない時期にきている。

きみを守りたい。

かなしみこぼれぬよう…

あわれみが、いま、希望の内に生まれるよう

      尾崎豊『太陽の破片』より

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