人は自分の主人になれ
作家の曽野綾子が好きだ。
といっても、そんなに作品を読んだわけではないが。
この人の主張には、自分も大切にし、他人も大切にするというほんとうの意味での“個人主義”がある。その個人主義は生半可なことでは許されず、ときには闘って勝ち取らねばならない。自己の運命に対して責任を取り、受け入れる。そして、そうした生き方に徹した人は、たとえ立身出世をしなくとも、いつしかいぶし銀の存在になれる。
一言でいえば、「随所作主 立処皆真」
すなわち「随所に主となれば、立処皆な真なり」(『臨済録』示衆)である。
以下は、「『いい人』をやめると楽になる」よりの抜粋です。
「母はお金の周辺のことも、私に教えた。人に勧められて何かを買ってはいけない。自分が欲しくて買いなさい。何にお金を出して何に出さないか、世間のしきたりではなく、自分の好みで決めなさい。決めたら、人に何を言われても、恐れないこと。
つまり母が私に教えたのは、人は自分の主人になれ、ということだったのだろう。あるいは、人間は能動的になるべきであって、神から受け取る運命以外は、受動的であってはならない、ということである。」
「人は自己の生き方を選ぶべきなのである。そしてそれはまた一人一人に課せられた任務であり、社会を支える偉大な要素になる。人は違っていなければならない。人と同じようにしたいのだったら、何かに「抜きんでる」などという望みはやめて、まったく目立たないこと、その人がどこにいるのかわからない状態に甘んじなければならない。個性を認められる、ということには孤独と差別に満ちた闘いを覚悟するという反対給付がつく」
「人がするからいい、のではないのである。人がしてもしないし、人がしなくてもする、というのが勇気であり、品位である、と私は教えられた。しかしそういう教育をしてくれる人に出会うことはめったになくなった。」
「神父さま、愚痴を言わない、恨まない、感謝するというだけで、その方は、存在の香気を放たれるものですね。私はその時まで、そんな単純なこともわからなかったのです。」
「神父さま、人間にはどうしても譲れないことと、譲れることとがあります。人間の根本的な思想に関わることは、譲れない場合も多いのです。」
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