日本の文化の劣化・・・
何が本質であるか・・・
何が本質であるか・・・
今、世の中には御用学者、御用評論家がいて暗躍をしているようです。彼らのせいで日本がどれだけ悪くなっているか表立ってみえる者ばかりではないだろうだけに、計り知れないものがあります。
明治の文人、徳富蘇峰も結局は、時の権力者にこびへつらった文化人の一人であったといっても過言ではないようです。
徳富蘇峰は時の権力者、山縣有朋の伝記を書き、豪華な別荘を9つももち、金に汚かった山縣に対して「極めて質実に、極めて謹厳なる、武人的生活」とオベンチャラをいっています。それに対して、伝記作家、小島直記はこう書いています。
文章には、レトリックというものがあります。内容を強調し、あるいは美化するためのテクニックです。中国ではこれを「舞文曲筆」といいました。しかし、蘇峰のこの文章は、このレトリックの一種ということはできません。なぜならば事実を歪曲し、虚偽を読者に伝えようとしているからです。端的にいって、これが蘇峰の権門に対する媚態、お世辞なのです。三宅雪嶺ならば、殺すぞ、と脅されてもしなかったことなのです。
ここに、同じく文章に志したとはいっても、明らかな落差、相違を見ることができます。
「『嶺』と『峰』とどちらがいいか?」
と聞かれれば、
「甲乙なし」
と答えるほかはないでしょう。しかし、それが雅号に使われた場合、区別ができる。
「『雪嶺』よし、『蘇峰』好まず」
両文人を別ける座標はただ一つ、「権力」にどう対処したか、筆(ペン)の権威を権力の上においたかどうか、ということであります。
自分は「殺すぞ」と脅されても筆を曲げずにいられるか。そういうものを持っているか。どんな実績を上げるよりも、そこがあるかないかが、文章に志すものを一流であるか二流であるか別けるところなのでしょう。
(前回よりのつづき)
新聞記事(朝日新聞2008年12月6日朝刊)を
読んでの見解でしかないが
「非専門家の専門家」、
ここにも「自由」へのこだわりが
見て取れる。
「枠」にはまるのを好まなかったのかもしれない。
それが加藤周一の名前しか知らないような者に、
どんな存在であるのか
いっそうわからなくさせたのであろうか。
前掲の記事にはこうもある。
(前略)
その秘密はなによりも「自由」を
最優先した生き方にあった。
内外の多くの大学で
教壇に立ったことはあるが、
ほとんどが客員のような形だった。
その理由について
「何かに属した方が、
社会的影響力は強いと思う。
が、その分、考えたり、
社会を観察したり発言したりすることに、
制限が加わる、
物事への判断は、
できるだけ正確でありたい。
となると自由を選ぶんだな。
僕は」
と語ったことがある。
表現の自由を得るためのみならず、
物事への見方・考え方を正確にするために、
自由を選ぶ。
どこにも属さないことは
安定収入もないということであろう。
どの程度に孤独で不安で、心細い
ものであったかは、
本人にしかわからない。
しかし、その「自由」には
まったくブレがなかった。
同新聞12月7日朝刊で
井上ひさしさん(作家・劇作家)は
追悼文にこう書かれている。
戦後、知識人が一斉にマルクス主義に
走った時も、
加藤さんは自分の立ち位置を
変えなかった。
雑種性を尊重して
あらゆることを拒まずに
受け入れ、
でも、自分は動かない。
北極星のような存在でした。
加藤さんを見て、
自分がいまどこにいるのか、
ずれていないかを確認してきました。
心よりご冥福をお祈り致します。
今日のグランプリ・ファイナルの
ショートプログラムは
とくに、前半、かなり緊張していたようだが、
この間、キム・ヨナの演技を見て驚いた。
ちょっと見ると音楽に合っていないようで、
合っているといおうか・・、
“間”というか、“虚”というか、
なにか包み込んでしまうような大きさを
その演技に感じたのだ。
日本人選手など他の選手と比べて、
キム・ヨナの滑りには
東洋的なものが底流にあるように思える。
詳しくはないが、
日本でいえば、“舞”とか“能”に
通ずるものがあるのではないか。
コーチはヨーロッパの一流が就いたという
ことだが、
キム・ヨナがここまで伸びたのは、
もちろん、そのコーチの指導によるのだろうが、
もっている“素材”の良さが、
彫り上げられたということが
大きいのではないか。
山本夏彦はかつて、樋口一葉が何ゆえ、
あの若さで、あそこまで洗練された文語文が
書けたのかという事について、
するどく分析している。
この若さでこれだけの文章を書いたのは
奇蹟だと思うかもしれないが必ずしもそうではない。
一葉の文は平安以来の伝統があと押しして
一葉に書かせたものである。
『完本 文語文』
同様に、キム・ヨナには
「伝統のあと押し」というものが
あるのではないか。
もちろん、韓国なら韓国、
日本なら日本、
・・・東洋で生まれ育てばそれがある
というわけではない。
現に、今、活躍する日本選手には、
欧米人から見ればどうかはわからないが、
日本人である自分には
キム・ヨナほどそういうものは感じられない。
日本人は、キム・ヨナのスケート靴を
はいた姿と、オフの過ごし方などばかり
おいかけないで、
彼女がどういう家庭環境でどういう
育て方をされてきたのか、
先祖や周辺より
どういう伝統を受け継いできているのか、
そういったことまで、
よく調査する必要がある。
「非専門家の専門家」、
さきごろ亡くなられた
評論家、加藤周一さんのかつての志を
その追悼記事(朝日新聞に2008年12月6日朝刊)に
こう書いている。
(前略)しかし、自由に生きることほど、
この世間で『不自由』を強いることはない。
自伝的著書『続・羊の歌』に
『ひそかに非専門家の専門家になろうと志していた』
と記す。その強い決意で古今東西万巻の書や
芸術との『対話』や、多くの海外経験を通じて
肌で感じた学識から組み上げた、
『知』の深さへの自身だったのだろう。
「非専門家の専門家」・・・。
師と仰ぐ方から
「専門をもちなさい」
といわれ、それから数年経ち、
いまだに明らかなものを
もてないでいる
自分にとって、一見救いにみえる
視点であるが、
よく考えてみれば、
加藤周一なればこそできた芸当であろう。
(次回につづく)
(※ドイツ文学でゲーテと並び称される偉大な作家シラーは)
最も高い意味で人間の自主性のために戦った偉大な詩人であった。その仕事は、人間というものが本来貧しくてよわいものであるからこそ、また彼自身の才能もゲーテにくらべては恵まれないからこそ、偉大なのである。天与の才能、疑いのない偉大さに甘えたのではない。ゲーテが言った、シラーの全作品をつらぬいている自由の理念とは、なによりも、そういうよわい人間が真と善と美へ到達しようと努力する自由なのであった。
『増補 ドイツ文学案内』岩波文庫別冊より
あのベートーヴェンの第9歓喜の歌の作詩者であり、
世界の文学界において凡人よりみれば、
充分に偉大すぎる存在であるシラーも、
間近に屹立するゲーテという世界的な高峰をあおぎみて、
自分の才能や不遇、体の弱さに嘆いたこともあったであろう。
しかし、
そこが最も凡人とは異なるところであるかもしれないが、
いたずらに嘆いて時間を無駄につかうのではなく、
みずからの居所をひるまずに見つめた上で、
くさらず驕らず死ぬまで、
あたうる限りもっとも高き頂きを目指していたことに
後世にまで届く彼の輝きあるのだ。
ゲーテは“あこがれ”であるが吾々からは遠すぎる存在であり、真似をしようにものっけから届かないと
諦めてしまいがちな存在だ。ところが、
ほんとうはシラーにもとても届くものではないにしても、
自分も彼のように生きれるのではないといった錯覚かもしれないが、
励ましを与えられるような強い何かをもっている。
シラーが晩年、病状悪化する中、
コーヒーに力を借りて鬼気迫る姿で、
作品と格闘したというくだりを読んでからは、
コーヒーを何倍でものむことをいとわずに
徹夜で仕事に取り組んだものだ。
野田秀樹さんが久しぶりに
作品「キル」を上演するそうだ。
「キル」とは、
「着る」であり、
「切る」であり、
「kill」である。
だから、日本語ってすき!
Don’t be a “silly”!(ばかを言うな)
“Silly(尻)”は、日本語ではない。
日本人はいつから、
こんなに従順な民族になってしまったのか。
たとえば、パソコンの横書き。
腹立ってきませんか?
こうしたブログも、普通のホームページも、
メールも、みんな横書き。
ウインドウズにくっついているワードだって
縦書きにしたことがある人は分かるだろうけれど、
横書きより使いにくい。
そもそも日本語は縦書きでこそ、一番生きてくる
言語ではないだろうか。
横書きにすると、「魂」―「霊」が抜けてしまいやすい。
(自己流の)言霊(ことだま)的な見方からいうと、
縦―経(たて)とは、経に燃える「火」であり、
「霊(ひ)」であり、日本の「日(ひ)」である。
縦書きで日本語を読むと、ストンと腹(丹田)に
言霊が落ちてくる。
緯(よこ)―横書きにすると、右の耳から左の耳へと
スーッと抜けやすい。
(あくまで独自につかんだ、自己流の解釈ですが・・・)
それなのに、日本語に横文字(英語など)を引用したとき、
縦書きだと入れにくいだと?
英語に合わさずに、日本語に合わせろ!
と、なぜいえないのだろうか。
もっと、怒っていいのではないか。
日本語の横書きの問題も、
長い目で見れば、民族の存亡にかかわる
重大な事であると、ぼくは思っているのだけれど、
それでだけではない。
一事が万事―この通りに
ありとあらゆるものを、
従順に許してしまっている。
日本の歴史がそうであったように
受け入れることはとても大切だけど
いくらなんでも、
アイデンティティーに関するところは
絶対に入り込ませていけない。
従順であるべきではない。
それなのに、どんどんどんどん
入り込ませてしまっている。
だから、多くの日本人が
自分を見失ってしまっているのだ。
「魂(霊しい)」が抜けた「からだ(空だ)」に
なっているのだ。
ぼくたちは今日死ぬかもしれないし、
明日死ぬかもしれない。
だからこそ、拙くて浅はかで、後で見たら
恥ずかしいと思うようなことしか書けなくても
自分の言葉で表すのが大切です。
誰か偉い人がこう言っていたとか、
どこかに書かれていたというだけではなく、
自分の心を通して言葉を表すべきです。
ただ既存の言葉を、たとえそれがいかに
偉大なものであっても、右から左へと
仲介するだけでは、ぼくたちが生きている
意味がありません。
その人が生きるとは、生まれるまえは
この世界になかった何かを附加して
死んで行くことです。
だからこそ、ぼくは自分の言葉で語りたい。
自分の言葉を深めたい。
ギリシア悲劇、ソポクレスの『オイディプス王』(藤沢令夫訳)を再読していて、
そのまえがきに、感銘を受け、共感をした一節がありました。
(前略)しかしながら他方、このような「哲学」とか「文学」とかいった区別は、われわれの限界狭小(スミークロギアー)がこしらえあげたものであり、こんにちのわれわれにおける、経験そのものの分裂を意味しているとも言えよう。ソポクレスにせよ、プラトンにせよ、ヨーロッパの古典的世界における第一級の精神家にとって、このような経験の分裂ほど無縁なものはなかった。(後略)
(注)ソポクレスは劇作家、プラトンは哲学者
時を同じくして読んでいた17世紀フランスのモリエールの戯曲に、やはりギリシアの名医、ヒポクラテスの以下の言葉が引用されていました。ぼくにとっては、重要なシンクロニシティー(偶然の一致)でした。
「人生は短く、一芸に達するには長い時間がかかり、経験は信頼するに足らず、評価することは困難である」
「すべてのものを教えるのは経験である」
医師でありながら、まるで、文学者、哲学者のような言葉です。
古代ギリシアでは、哲学も文学も、医学でさえも、その領域には、現代のように明快な境界線が引かれていなかったのでしょう。
古代ギリシアについて、いずれは、ぜひもっと勉強をしたいと考えていますが、
ギリシアに限らず、
“哲学”と“文学”と“医学”。
これは、自然の成り行きの中で、
ぼくの人生に課せられたテーマでもあります。
たとえば、このブログの主要テーマとして今のところ、掲げている3つの柱の1つ、「健康」はようするに「医学」であり、
「人間性を高める」は「哲学」のことであり、「表現する・創造する」はつまりは「文学」です。
(このブログではどこまでできるかはわかりませんが、ようするに、自分で自分の人生に課しているテーマということです・・・)
3つなんて、欲張り過ぎだと思われるかもしれません。
しかし、それは見る方向が違うだけであって、
追求すべきはたった1つなのです。
つまるところ、根本にある“人間”なのです。
Recent Comments