October 18, 2008

思うようにならない

あらためて、人生をふりかえってみると

思うようにならなかったことばかり。

もっとも思うようにならなかったのは

自分である。

思うような自分に変わることが

できなかった。

でも、もしも思うようにならなかった

ことが、正しかったとしたら・・・

思っていたことが

間違っていたとしたら・・・

自分の奥の奥の奥の自分から見れば

思うようになっていたとしたら・・・

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October 14, 2008

今、松葉杖をついています。

                                                        

10月11日土曜日、長男、百一郎(6歳―ペンネームです)の

保育園で運動会があり、親子リレーに出場しました。

そこで、父親である私は、はり切って裸足で

走ったのですが、転倒。

翌日、救急外来で診てもらったところ、

足の指の付根が骨折の一歩手前、

骨に異常があり全治2ヶ月ということで、

現在、外出時には、病院から貸与された松葉杖を

使用せねばならない状況になっています。

ほとんど、外出ぜずに大事にしておりますが・・・。

(←これは、創作ではありません)

                                                    

情けないですねえ。

もっとも、全力で走ればこけることは予想できたのですが、

そのときはそのときで、観衆から「ウケる」からいいや

と思ったのです。悲しい性(さが)です。

                                                   

案の定、たった一人裸足で登場した親父が、

全速力で突っ走り、思いっきりコケたことにより、

一部の観衆から、とても「うけた」ように

思われますが、

その被害は予想以上で、ある意味、今回の

株価暴落のような・・・、ちょっと違うか、

想像以上の“痛手”をこうむってしまったという

わけです。

                                                   

もちろん、後悔を・・・・・・・・・

・・・・・しておりません。

                                                   

そんな中で、痛みをこらえて(?・・・ちょっと大げさです)

自分としては、待望のネットショップを

オープンしました。

ネットショップ・いのちのちから

(現在、船井幸雄さんの本物研究所の商品を

中心にご紹介しております)

まだ不完全なものですが、今後、改善していく

つもりです。

ご興味のある方は、以前より運営している

自然育児&子育てのブログともども

お訪ねください。

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September 30, 2008

タヨウはタオ?

                                                         

多様を多様のままに。

                                                            

多様(タヨウ)とはタオ(道)のこと?

だから「多様を多様のままに」とは

「タオをタオのままに」ということ?

                                                          

多様を多様のままに。

それこそが、普遍。

                                                          

タオは普遍です。

だから

「多様を多様のままに。

―タオをタオのままに。

それこそが、普遍」

ということなのかな。

                                                       

なんだか、こじつけのようだけど、

これも“ことだま”かな?

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September 29, 2008

15才のぼくへ贈ることば

                                                            

「なんで、ぼくがあなたでなければならないんだ!」

ということば。

 ← いつでも使っていいよ!

                                                         

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祈り

多様を多様のままに。

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いまが一番!

                                          

病気であれ、経済難であれ、

人間関係がうまくいっていないのであれ、

“いま”のじぶんが

一番いい状態です。

                                                         

                                                                               

過去は、健康であったかもしれない、

裕福であったかもしれない。

人間関係もうまくいっていたかもしれない。

でも、“いまのじぶん”にとって、

いまの状態が、一番いい状態です。

                                       

                                                      

そして、“いま”は刻々と

変化していきます。

だから、一番いい“いまの状態”も

どんどん変わります。

よって、いまのじぶんの状態は、

未来のじぶんにとっても

一番いい状態というわけではない。

                                                     

                                                           

未来のじぶんは、

そのときのじぶんにとって

一番いい状態に

かならずなっています。

                                                                             

                                                       

だからなにも恐れることはないのです。

                                                      

                                                      

病気や経済難や、

人間関係がうまくいかないのが

よくないという見方は、

何十、何百、…、おそらく無限に

あるものの見方の1つの見方にしか

すぎない。

神様から見たら、どうなんだろう…。

決して、神様の見方にはなれないとして、

想像してみるのも面白いでしょう。

                                                            

                                                      

ただ1ついえるのは、

世の中に無駄は1つもないということです。

病も貧も、争も・・・

すべて何かのバランスを

保つために、存在している。

―これも、一つの見方ですが・・・

必要だからこそ、

そこに存在しているのです。

                                                        

                                                      

自分がガンだとして、

ガンはいやだ、いやだ…

という。

それは、他の人のもつ、

ガンも拒否している、

つまりガンの人をいやがっていることと

同じだということに気づいていない。

自分だけガンを拒否する

権利があるというのは、

不公平ではないでしょうか。

                                                      

                                                      

ただ、たとえば病の場合、

その病になっている自分を

受け入れるということと、

病が治るのをあきらめる

ということとは等しくありません。

治るのをあきらめるのではなく、

病を受け入れるのです。

その方が、病を治す力は

体のうちから沸いてくるのではない

でしょうか。

                                                      

                                                        

自分のガンを受け入れるということは、

ガンの他人を受け入れるという

ことにつながる。

そのことが自分の体調に

いい影響をあたえないはずはありません。

                                                       

                                                      

バランスが崩れているから、

バランスを保つために病がある。

こうして、

バランスが保たれているのです。

                                                       

                                                          

世界に六十億の人口があるとして、

六十億の世界があります。

一人一人の世界は必ず

どこか違っています。

なぜならば、あなたなら、

あなたが居る場所からしか、

世界は見えないし、

感じられないからです。

                                     

                                     

じつは、その、

その人を囲む

世界こそが“じぶん”という

ものではないのでしょうか。

“じぶん”とは、

身体の範囲だけでなく、

見て、触れて、嗅げて、聞けて、

味わえて、第六感で感じられる

その人を取り巻く世界すべてが、

“じぶん”というものの

範疇なのではないでしょうか。

                                                       

なぜならば、

“見る”ということだけ、

取り上げても、

見えているものはすべて、

あなたの目の中に

入っているからこそ、

見えているのです。

つまり、見えているものは

すべて、もう、

あなたの一部なのです。

                                      

                                      

身体の範囲だけでなく

そのあなたを囲む世界、

つまり、ここで“じぶん”と

名づけた世界の中での

何かバランスがくずれたがゆえに、

病になっているかもしれない。

喘息の人が喘息になっているのは

その人という“じぶん”の

一部である、大気が汚染されている

がゆえに、

そのバランスを保っているのかもしれない。

それは、

貧でも争でも同じです。

                                                       

                                                     

とにかく、

この記事でいいたかったのは、

たとえ、病であれ、貧であれ、

人間関係がうまくいっていないのであれ、

“いまのじぶん”にとって

“いまの状態”が一番ということ。

その理由を理解するためには、

視野を広げなければならない。

世界に60億の人口があるとしたら、

60億の世界があって、

その1人1人の世界は、

“じぶん”でもある。

そういう見方もあるんだよ、

ということです。

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September 23, 2008

願い

ぼくはあらゆる人、生物がみずからを

生かせる世界を創りたい。

そのために役立ちたい。

それは、ずっと願ってきたこと。

金をもうけることが得意な人、

財産や権力がある人だけが、

生き延びられるような世界は最低だ。

人が人の生命や個性を殺してはいけない。

どんな人種でも、民族でも、

宗教でもいいではないか。

すべての人が幸せにならなければならない。

世界が一色になってしまったら

面白くもなんともない。

単なる理想だといわれるかもしれない。

でも、その理想を死ぬまで追いかけて

いきたい。それが、自分の理想であり、

理念であり、思想である。

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September 19, 2008

じぶんはじぶんのものではない

自殺をしてなくなられた方の

苦しみには、計り知れないものがあります。

他の人には、どこまでもわかならいでしょう。

それを承知でできればひかえめに

もうしたいのですが、

やはり、自殺をする人には、

そこに至る過程がどんなものであっても、

多少の傲慢さは残ると思います。

それはどうしてか…

果たして

自分のからだはじぶんのものなのでしょうか。

かってに、じぶんのからだを殺す

権利がにんげんにあるのでしょうか。

ことばをかえていえば、

じぶんのからだはじぶんなのでしょうか。

ぼくは、スピリチュアル的な見解は

知りませんが、

生まれようとして生まれたわけではない。

生まれたいと思ったって、

生まれ出る能力がそなわっていたって、

生み出すちからを人間が

牛耳っているわけではない。

ただ、どうしたら生まれるか

ということを知っているだけで、

生まれるシステムを創ったのは

人間ではない。

いいかえれば

生命を生み出す力のある生命を

まったく新しく、

ゼロから創造する力は

人間にはないわけです。

またここで、

じぶんはじぶんなのかという

問いにもどります。

じぶんの筆箱やたんす、テレビ、

家・・・などの物はじぶんの

ものだと主張しても、

大きな支障はないかもしれない。

でも、よく

「じぶんの勝手でしょう!」

ということばが使われますが、

じぶんはじぶんのものなのでしょうか。

じぶんというものは、

じぶんの持ち物では

ないのではないでしょうか。

「じぶんの勝手」で

じぶんをどうにかしていいのでしょうか。

じぶんを勝手にどうにかする力は

与えられていて、

だからといって、

じぶんの好きなように

じぶんの生命を痛みつけて

いいものでしょうか。

はたして、じぶんとはなんでしょうか。

じぶんの境界線はどこでしょうか。

じぶんには中身があるのでしょうか。

もしもじぶんというものが

なにものからあずけられた

預かりものだとしたら、

大切にしなくてはならないのは

至極あたりまえのことでしょう。

もしじぶんというものを

創ってくれたのが神様だとして、

あんまり人間が苦しんでいたら、

死んでもいいよ

といってくれそうな気もしますが、

ぼくにはわかりません。

ただ、じぶんはじぶんのもの

ではないという気がすごくして、

じぶんを含めて、

あらゆる生命を粗末にしては

ならないのではないかと、

なんとなく、しきりに思っているだけです。

(※とりとめのないお話で、

  失礼いたしました。)

                                                          

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September 15, 2008

価値観の転換

今は、価値観を根本から

考え直さなければならない

時代だ。

たとえ、学校で習ってきたことでも、

世間の常識的なことでも

疑わなければならない。

宗教でも道徳でも、

思想でも医療でも、

経済でもなんでもそうだ。

いったん、すべてを疑い、

もっといえば、もうそういうものは

できるだけ考慮に入れないで、

(それは、大変難しいことなのだが・・・

つまり、心と頭を白紙にしなければならない)

自分なりの、

これからの時代を担う

人間たちによる価値観

というものをつくっていかなければならない。

そのときに、

既成の概念(考え)というのは

邪魔になってくる。

ただ、一気に行動や生活を

変えてしまうと、

社会は混乱するし、

自分の頭や心に支障をきたす

ことになってしまうかもしれない。

だから、体は常識的に行動して、

まずは心と頭―中身のみを

どんどん崩していかなければ

ならない。

つまり、一掃した上で、

自分の身体で

つまり魂で感じたもの、

とらえたものをベースに

新しい価値観をつくっていくことだ。

(身体とは、魂に他ならない。

魂が物質化したのが身体である

のだから・・・)

そのときのキーポイントは、

先に説いたように、

生活は常識的であること。

規則正しく生活し、

ちゃんとしたものを食べ、

運動し、ふつうに働き(勉強し)、

家の中などの掃除をして、

必要な睡眠をとること、…。

なぜならば、

生活さえ、ちゃんとしていれば、

頭や心は狂うことはないからだ。

(その点、多くの人は誤解している。

心や頭の問題は、

心や頭から入ろうとしているが、

そうではないのだ)

個人個人の身体とソウルに

よって考える価値観であるのだが、

それは、個性に包まれているものの

多くの皆と限りなく近いものに

なっているはずだ。

なぜならば、人々は頭脳の中身に

おいてはつながっていないが、

心(とくに魂レベル)や身体では

つながっているのだから。

われわれは、同じところから生まれ、

死んで同じところへと去っていく。

そして、物質的にみても、

誰もが地球の一部にしか過ぎない。

地球から生まれ、

地球で生き、

地球で死んでいく。

死から生へ、

そして生から死へ。

誰もが常に地球といったいである。

新しい適切な価値観を創れば、

現代日本が抱えている、

多くの問題・悩みは、自ずと

消えていく。

その価値観を創るには

何よりも学校教育などで

教わり、

マスメディアで常日頃見てきた

ような、その根底にある

価値観をベースに少しでも

考えているようなら

いつまでたっても創造できるもの

ではないということを

深く知るべきだ。

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September 13, 2008

ボーッとしてる人が増えれば日本はよくなる。

日本をよくするには

毎日、ボーッとしているだけで

充分満足に暮らせる人を

増やすことである。

朝からただボーッと

雲ばかりを見ている人。

路傍でばったり出会った近所の

人と何時間でもとりとめのない

お話ができる人。

自転車に乗っていて、

自分が走ったことなのない

面白そうな道ばかりを

廻るので、なかなか目的地に

つかない人。

本を読んでる途中で、

考え事ばかりをしてちっとも

読み終わったことがない人。

生産の合理化などいっこうに気にせず、

ただ土が好きという理由だけで、

畑を耕してばかりいる人。

子どもの頃からずっと、

蟻んこを見ているのが好きで、

大人になった今でも

いつも蟻の穴のあたりを

のぞいている人。

損得ぬきで人を助けるのが

好きで、仕事をそっちのけで、

人助けばかりをしている人。

祭り好きで、

一年中、やる気がないけど、

祭りの時期だけは人が変ったように

生き生きとする人。

毎日、明け方まで星を眺めている人。

長風呂・・・。

1回の食事に2時間、3時間、4時間・・・

とかける人。

家の中をピカピカにすることだけに

日々、この上ない幸せを感じている人。

人の話をただニコニコと何時間でも、

一日中でも聞いていられる人。

電車やバス、交通機関が

時間通りに来ない、

それが5時間、6時間・・・

と半端じゃなくても、

怒らずに待っていられる人。

ちっとも金儲けにつながらないけれど、

自分の仕事を丁寧に

仕上げることに

日々かけている人。

道で倒れている人を見かけたら、

自分の生活(仕事など)を無駄にしてでも、

その見知らぬ人のために、

時間と労力、金を惜しまないで

お世話することに無常の

喜びを感じる人。

・・・・・

ようするに、

不合理で、無価値な、まったく意味のない

ことに、いくらでも、時間を

かけられる人、

たとえ、一生でもボーっと

生きて、充分に満足できる人を

増やすことこそが、

日本をよくするもっとも

いい方法であると思う。

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September 11, 2008

ヒゲ

                                                       

ヒゲをのばして

気づいたこと。

ヒゲのあるしあわせ。

                                                        

剃(そ)っていたときは、

エステで毛穴を埋めたい

と思っていたのにね。

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ふがいなさ

自分のふがいなさを

見つめれば見つめるほど

しあわせになれる。

・・・ふしぎだ。

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きょう…

きょう、

交通事故にあわなかった。

路上で刺されなかった。

隕石が落ちてこなかった。

病で倒れなかった。

家族がみんな無事だった。

・・・・・・・・・・

生きている。

この奇蹟にひざまづきたい気持だ。

感謝。

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ようするに…

ようするに、

しあわせであればいいんだな。

病であっても。

金がなくても。

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むしのこえ

どんなにつらくても

虫の声に耳を傾けると

一瞬にしてしあわせになれます。

目はこころの窓。

耳はこころへの入口。

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September 06, 2008

実感

どなたかはわかりませんが、

ときおり、このブログを訪ねて

くださる方がいます。


でも、不思議なものですね。

こうして、パソコンをうっている、

地上のどこかで、

時を同じくしている人がいる。


目には見えないし、

触れないし、

聞こえないし、

話してもいなけれど、

なんとなく、感じられるような

気がする。


その感じを手放さないだけで、

すぐそばにしあわせを

実感できる。


ぼくたちは、まだまだ

見えていないだけで、

たくさんのしあわせに

かこまれてくらして

いるのかもしれませんね。

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September 04, 2008

古典を読むことは現在を読むこと

古典を読んだからといって

過去を学べていると考えるのは

幻想である。

古典を読