やむにやまれず発するもの・・・
「疲れたら休めばいいんです。よしやるぞ、と気持ちが高まるまでは」
三浦雄一郎さんの、前回紹介したこの言葉は何かを「表現」することにもあてはまるであろう。
本日の朝日新聞夕刊の『悩みのレッスン』で、美術部に所属するある女子高校生が、お母さんにパソコンを2時間しか使わせてもらえないと悩みを投稿してきたのに対して、創作家の明川哲也さんがこう答えている。
(前略)
パソコンでデザインをしなければいけないのに、1日2時間ではたしかに不満が残るでしょう。でも音楽と同じことで、問われるのは実作業の時間よりも、あなたの頭の中にある創作の広がり、それをどれだけいきいきと保てているかということだと思うのです。その根源があるなら、増殖するイメージの原型を紙に描いてエネルギーを溜め込み、制限されたパソコン時間の中で、マグマのように噴出させることも可能でしょう。
つまり、状況に不足があることは、決して状況に恵まれていないということではないのです。考え方次第で、あなたの創作魂はいよいよ本物になっていくはずです。
(後略)
『言志四録』(講談社学術文庫)の訳者、川上正光氏は、『言志四録(一)言志録』の92条の付記にこう記されている。
(前略)
吉田松陰が
『かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂』
と歌ったのも、内にみなぎる大生命の発露であろう。
我々の仕事や作品も行動も、内からほとばしり出るやむにやまれぬ精神の発露の場合、それは外からは花の如く美しく見えるものである。
(※傍線は私-筆者がつけました)
はたして、俺の「やむにやまれぬ」はいつ発せられるのだろう。
このまま、この世に花を咲かせず、何も残さずに死んでしまうのだろうか。
あせる心を抑えつつ、最後に、この『言志録』92条を書き写します。
已むを得ざるに薄(せま)りて、
而(しか)る後(のち)に諸(これ)を
外(そと)に発する者は花なり。
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