雨の歌―5首
死のうかな濡れし車道の冷たさに
ネオンとともに浮かびしあの夜
水溜りくぐりて黄泉の次元へと
飛び込む魂(こころ)雲と泳げり
ぬかるみに傘をささずににらみつけ
もう終わりだねと強く突き刺す
垂れる血をなめずに雨のなすがまま
流れの支(わか)れ滲むまで見し
放射能混じる雨天に大口を開けて
己も殺せと叫ぶ
死のうかな濡れし車道の冷たさに
ネオンとともに浮かびしあの夜
水溜りくぐりて黄泉の次元へと
飛び込む魂(こころ)雲と泳げり
ぬかるみに傘をささずににらみつけ
もう終わりだねと強く突き刺す
垂れる血をなめずに雨のなすがまま
流れの支(わか)れ滲むまで見し
放射能混じる雨天に大口を開けて
己も殺せと叫ぶ
テレビを見ていて、多くの人が飢餓や戦火で死んでも
なんでもなくなった。
路上にホームレスが一人や二人いても気にならなくなった。
駅で誰かが倒れていても、気にしなくなった。
震災でいまだ苦しんでいる被災者がいるという報道をみても
なんともなくなった。
ホームレスが嬲り殺されたというニュースをみても
当たり前になった。
派遣切りで、たくさん若い人たちがホームレスになっているのを
街で見かけても平気になった。
・・・・・
いずれは、
散歩の途中、街に屍(しかばね)が累々としていても
平然としていられるようになるのだろうか・・・。
ぼくは、どんどん落ちていく。
亡くなられた川内康範さんが
「おふくろさん」という歌で
どんなメッセージを伝えたかったのか。
なぜ森進一氏が
歌の冒頭であのセリフを
つけたして歌ったのが
いけないと指摘したのか。
作詞家と歌手の関係や
感情的な視点のみならず、
もっと歌の真意にせまるような
番組・報道があってもいいのではないか。
「おふくろさん」には
今の日本人がほとんど失いかけていて
どうしても取り戻さねばならない
志がうたわれていると思うからだ。
以下、産経ニュース(2008.4.7)より
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080407/tnr0804072025009-n1.htm
(※傍線は私が引きました)
(引用開始)
日本人にとって永遠のヒーローともいえる「月光仮面」について、川内さんは「なにより訴えたかったのは愛。それも無償の愛」と話していた。月光仮面が誕生したのは約半世紀前。当時、日本は敗戦から立ち直ろうと必死で、価値観が大きく揺らいでいた。
「このままでは日本はとんでもない国になる」。子供たちに、日本人の美徳を伝えようと、生み出したのが月光仮面。モデルは薬師如来像の脇につかえる月光菩薩だった。
亡き母の教えを歌に込めたという「おふくろさん」の詩も、「無償の愛」「普遍の愛」がテーマだった。父が仏門に入った関係で、檀家(だんか)が備えたお菓子を、母は子供たちには手をつけさせず、貧しい人々に配って回ったという。
(引用終わり)
あらためて聞いてみて
やはり、冒頭のあのセリフは
ぜんぜん違う。
『日本語であそぼ』という
子供向けの番組の最後に、
Konishiki(小錦)が歌をうたう。
正式なタイトルは知らないが、
金子みすずの詩『わたしと小鳥とすずと』に
曲をつけたもので、
繰り返される
「みんなちがって、みんないい」
というさびが印象的。
金子の詩だということは
ついさっき知った。
Konishikiってもっと歌がうまかったように
覚えているのだが、
彼の歌にはハートがあるから、
胸に響く。
保育園に行く途中、
息子と
♪みんなちがって、みんないい~♪
なんどもなんども
同じところを歌いながら歩いた。
歌詞を覚え切れなかったのだが、
金子みすずの詩だと
知っていれば、
すぐに調べられたものを・・・。
もっとも、この歌の
一番いい部分、
そこを口ずさむだけでも、
充分、しあわせな気分になれる。
子供と歌いながら、
働き盛りであるにも
かかわらず家にいて、
毎日のように保育園に送りに行く
めずらしい父親である
自分のことを
考えていた。
わたしと小鳥とすずと
金子みすず
わたしが両手をひろげても
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地べたをはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
春の朝
ロバアト・ブラウニング作
上田敏訳
時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたおか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
以下、『広辞苑』より
片岡(かたおか)
一方が切り立っている岡。
また、孤立した岡。
以下、『言海』より
知食す(しろしめす)
知(しろ)す、を更に敬ひていふ語。
知す(しろす)
知る、の敬語。知(しら)す。
〔感想〕
「すべて世は事もなし」。
これは、禅語の「日々是好日」に通ずる
のではないでしょうか。
「すべて世は事もなし」、
そんな「あした(朝)」は、
どんな人の「あした(明日)」にも
かならず来ます。
ただ、「事もなし」を感ずるか感じないか
の違いだけです。
明日の朝も、
スズメのさえずりは聞こえるでしょう。
陽光がカーテンの隙間からもれるでしょう。
雨が地上の万物を潤してくれるでしょう。
(了)
秋の日の ヸオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。
鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。
げにわれ うらぶれて こゝかしこ さだめなく とび散らふ 落葉かな。
今、文語のリズム感にしびれ、 その美しさに参っています・・・。
何万億年、
ぼくがここにいたとしたら、
ぼくのなかに柱が立つ。
何万億年、
きみがここにいたとしたら、
もっと仲良くしたいとおもう。
かわるかわる、
ぼくときみのまわりは
かわるかわる。
かわってかわらないのは
きみとぼくだけ。
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