ぼくは大学を出て、社会人になるとき、
● 人格の向上
● 技術・知識の向上
◆この2つによって、世の中のためになる。
という大方針を立て、それを自分なりに追い続けてきた。
それからおよそ20年経過し、
不惑の40を数年超えた今、
あらためて自分の生き方について整理していたら、
上の大方針が具体化され、収斂された形で
以下の3本柱に行き着いた。
● 人格・思想の向上・創造(※人間が高まれば、思想も磨かれる)
● 健康・医療
● dorama(脚本・戯曲・小説等)を中心にした物を書くこと
これらの修練を積み、磨いていくことによって、
世の中のため人のため、理想世界を創るために
死ぬまでには、なんとしてもほんのわずかでも
お役に立たせていただきたいというのが
私の強い“祈り”です。
考えてみたら、練りに練って作った
(今は休んでいますが)
このブログの方針(↑)とまったく同じことである。
● 人間を高めるキビダンゴ!
● 健康のキビダンゴ!
● 創造し、表現するキビダンゴ!
(いうなれば、日曜日の、子育ては人間を高めるにも健康にも入る。
経済は、何をするにもベースとして必要だ。)
この3本柱は無理やり編み出したり、
どこかから持ってきたというわけでなく、
生まれながらにして与えられている
“課題”であり、“宿命”なのである。
だから、以前まとめたことをすっかり忘れ、
改めて考え直しても
同じところに落ち着いてしまうのだろう。
● 幼いころから、どうしようもない自分という人間にコンプレックス。中学生・高校生で剣道部のキャプテンをやって、自分を大きくし、向上させなければならないことをますます実感した。それがトラウマのようになっている。
―人格・思想の向上・創造。
● 父や母、またその祖父や曾祖父が亡くなった喘息と、多発性のう胞腎という難病、その両方に自分がかかっている。放っておけば、確実に、少なくとも長生きはできない。ちなみに、父と母は私が中学生の時から、交代で入退院を繰り返し、ついには病院で相次いで壮烈な最期を遂げた。我が子にも喘息はすでに遺伝し発症してしまっている。のう胞腎が遺伝している可能性も高い。
―医療と健康。
● 体が弱かったせいか、2、3歳のころから怪獣などの人形をつかってストーリーをつくって中学まで遊んでいたこと。また、身近に、それを職業とする人がいたこと。社会に出て10数年、構成台本・脚本をやってきて病休業したが、さらに上のレベルを目指したい、自己の作品を完成させたいという“やみがたい衝動”があること。
―dorama(戯曲・脚本・小説等)を中心として物を書くこと。
ようするに、この自分に生まれながらに与えられた課題、宿命から逃げずに、むしろ積極的に掘り下げて行くというのが、この“3本柱”の意味なのである。どれがかけても自分ではないのである。
この3本柱を修練し、磨き上げ、高めて行くことによって、自分の人生の最大のテーマたる―世の中のためになる=人類の進化と創造に寄与する=理想世界の建設に役だつを、神様から与えられた使命を果たすことで実現して、一隅を照らして、この世を去りたいのである。
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